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タイ DE 就職

 

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タイに於いての日本語教師の需要

 

日本にいた頃はタイでの就職の情報は偏っていて、教師としての割りの良い仕事はあまりに思えたが、来てみると意外とバラエティに富んでいる。 日本において日本語教師のギャラは安く男性は敬遠がちなので男性の教師を色んな学校で欲しがっているようだ。 しかし、教師の仕事は授業以外の仕事が多くて時間の割りにはもらえる金はしれている。 

ここタイにおいても給料は決して高くない。こちらの良い大学で3万バーツそこそこだ。 応募資格も厳しくて、安い学校などは1万6千バーツほどだ。これでは低賃金で働く大学出たてのタイ人と全く同じ生活をしなければいけない。しかし、私立の学校のギャラは良くて3万以上はくれるところも多いようだ。語学学校も多く、大学を出て、若ければ良い仕事はいくらでも見つけられる。英語教師などはネイティブが60パーセントぐらいで後は英語が話せる白人だ。彼らはほとんどは何のメソッドも持っていない世界をバックパックで回っている旅行者のようなヤツらだ。それでも白人というだけで仕事にありつける。つまりここタイでは見てくれを重んじているのだ。 中身はそれほど重要ではなく、つまり上っ面で良し悪しを判断されるのである。

基本、教師の仕事のみならず、ここタイでは日本よりも求職は安易かもしれない。邦人は基本的には日系の派遣会社のエージェントに登録をして仕事を見つけているようだが、そうでなくても求人誌やインターネットで調べればいくらでも見つけることは可能だ。英語が堪能でタイ語もできれば尚良しである。 勿論、日本よりも給料の面は比較的劣ってしまうが、技術職の求人の年齢の幅も広くも高くリ他の仕事だと日本人の最低賃金は5万バーツぐらいらしい。それに比べると教師の仕事は何処まで行っても安いのである。 

 

フリーランスでやっていくこと

 僕が行っている語学学校の有名大学のギャラに比べてそれはど悪くないが、仕事の量が安定しないのが難点だ。四大を出ていない僕にとっては雇用されるということはやはり狭き門だが、四大卒だと難しくは無い。そしてグレードの高い大学卒だと給料も変わってくるようだ。日本人の知り合いのジャンキー的パンク的なあんちゃんでも、そこそこの仕事がもらえ、そこそこ僕よりも良い暮らしをして、給料の大半と気力を日々ナンパに注ぎ込んでいるようだ。僕がオナーなり人事の仕事をしているなら、何かメリットがない限りあんなあんちゃんや転職の頻度が多いやつは雇うことは無いだろう。

 

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教師の利点

 

教師の収入面では邦人の一流企業の駐在員たちには足元にも及ばないが、一つだけ有利な利点はタイ人にはリスペクトされるということだ。 ここタイでは一度ナメられると上には這い上がれない。金のない人間にとってビジネスチャンスをつかむポイントはそこにあるかもしれない。 今、語学学校とプライベートで食いつないでいるが、将来仕事の全部をプライベートにスイッチしていくつもりだ。 僕の生徒は所謂、セレブ、少しの金でとやかく言わないので、学校よりも遥かに良い収入を短時間で得ることができる。彼らは高級コンドーに住み。高級外車を乗り回せるほどの人たちだ。そして最大の利点はそのコネクッションである。いい関係を続けることができるなら、一筋の光が見えるかもしれない、そして這い上がれるチャンスが見込めかもしれない。基本日本においても、何処に居てても同じなのだが、何一つ信用の無い人間が一人でプロモートしても誰一人見向きもしないが、信用性のある人間が仲を取り持つプロモートの信用度は格段アップする。現に今獲得しているセレブの生徒は全部料理の鉄人のジャッジをしていたことのある一番の生徒、ランさんのおかげである。しかし、そういう人にめぐり合えるのは努力でできる物ではなく、たまたま僕は幸運だったに違いないと思っている。

特殊な人たちのたまり場!!? タイのサウナ

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事前のリサーチが必要

 リラクゼーションの一つでもあるサウナ、しかし、タイのサウナで気をつけなくてはならないのがゲイの社交場かどうかだ。何箇所のサウナはそういう場所になっているのでその気のないノーマルな人は事前のリサーチが必要になる。ここで紹介するのは、そう言うセクシャルな場所ではなく、悪までも普通のサウナを紹介しよう。

 

フアイクワン地域にあるサウナ

 

TEN サウナ

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入り口を入ると左手に更衣室がありその奥はマッサージの雛壇がある

なかなかのクオリティの高そうな女性が並んでいたが、風俗情報ではないので他のサイトに任せてサウナの説明をしよう、中に入ると右手にジムがあり正面にはドライサウナと湯船と奥にミストサウナ、左には泳げるほどの水風呂、ドライサウナは30名ほど入れるぐらいで温度は低めだ。湯船のお湯も熱くなくほど良い温度でなかなか良い。ここもフルーツとタイの甘いものは食べ放題でおまけにゆで卵もある。サービスはそこそこだが、トータル的には250バーツでも納得である。因みに、マッサージは2時間で400バーツ。

 

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料金250バーツ

喫煙あり

マッサージあり

女性ダメ

サービス3

 

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www.facebook.com

 

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エビサウナ

 

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入り口を入って右奥に進んでいくと有酸素運動のマシーンが数台あり奥にサウナの入り口左に更衣室がある。ここは老舗のサウナらしくてなんとなく古く清潔感に欠けるが天井が高いので中は湿気がたまらない感じだ。正面に水風呂、湯船、ジャグジーと並んでいて、左にドライサウナ、ミストサウナその奥に洗い場がある。ドライサウナには25人ほど入れて、ヒーターが3機あるがそれほど熱くない、しかし、自動でヒーターに水をかけるシステムになっている。湯船の温度はここも程良い。ジャグジーはも少し温めだ。水風呂は1mぐらい深さがあり良い、ここはフルーツとおやつはビッフェスタイルで食べ放題だが、どこか汚いが、気にしないのである。サービスもそこそこでこういうところのほうがてチップのことを気にしなくてもいいから気楽である。

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料金200バーツ

喫煙あり

マッサージあり

女性ダメ

サービス3

https://www.facebook.com/pages/Ebi-Sauna/191104994265294?fref=ts

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長期旅行 インド編 デリーは大都会だが・・・・

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アグラーからデリーに

 

アグラーからデリーまでEXPRESSの列車がある聞いたのでそれに乗りことにした。ラジダーニエクスプレスはカルカッタからデリーまで結ぶ謂わば新幹線のようなものだ。座席は意外と広く食事も出て快適で乗客は旅行者と言うよりもビジネスマンが多かったように記憶している。旅に出たときは毎日ではないが手記を書いていたがこの頃になると毎日がしょうもない戦いと何をするにも時間が掛かり疲れてきて同時に写真を撮るということも面倒になってしまった。

デリーに着いて宿泊する地域の選択は色々あったが、オールドデリーのほうが面白そうだったので,そこに泊まることにした。オールドデリーは正にインドらしい風情があり、人もごっちゃがえしている。食べ物やも基本的にはインド料理で勿論、日本食はないが、さすが華僑だ!何処へ行っても安心食べられる味、中華料理がある。中国は嫌いだが中華料理は大好きである、というが中華は日本人にとって日本の食文化の一つになっている。 外国で困ったときは中華を探せ!である。ちょっと味は濃い目だったが、所謂中華丼の上手い店を見つけてインド料理を食べ無くてはいけないというルーティリングから開放された。 困ったときの中華!である・・・・・

都会的なインドの匂いのしないコンノートンに行けば上手いドーナッツも食べられた。食に関してはインドの入ってから一番良いところであった。 一応なんでもあるしメイド・イン・インディアのギターもあった。勿論クオリティは良くはなかったが、ハーモニックスは意外にもOKだった。値段も日本円で3000円程度、ギターを弾くことも恋しくなったので購入を決めた。しかし、ここインドでは安くない代物である。スパー古いフレーズだが、「ギターをもった渡り鳥」 になったのだった。

 

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どうしたんですかあ!!!?

 

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その日はS氏と別々に行動していた。彼はパキスタンにに行く為に大使館にヴィザの申請にしに行った。僕はいつものように何をすることもなくぶらぶらしていた。 

S氏が部屋に帰ってきた。元気が無い・・・・「どうしたんですか」「・・・・・犬に・・・・・噛まれたんだよね・・・・・」 一見、貧祖にも見える華奢な中年のおじさんが犬に噛まれた事態、ちょっと笑えるのだが、そこは我慢して 「えっ?・・・・病院行ったんですか?」 と聞くと、「まだなんだよね・・・・・」 その覇気の無い口調とその姿を見て 「駄目だ・・・我慢できない!可笑しい・・・」しかし、僕は踏ん張った。 そして、S氏は詳細を話し出した・・

大使館にはバスに乗って行ったらしいが、パスポートは無事だったが、そのバスで持っていたデイパックをナイフで切られ財布とノートを盗まれたらしい。 そのノートにはベトナムで大変お世話になった人の達の連絡先が書かれていたらしい。 金は惜しくないが、そのノートは諦められない、バスを降りて申請を終えてトボトボトと歩いていたら数匹の犬に囲まれたらしい。 この辺の野良犬は野生化している、多分、弱っている人間をその嗅覚で見分けることができるのだろう。弱っているS氏に襲い掛かったのでった。「駄目だ!」 我慢できず僕は吹き出してしまった。 泣き面に蜂と言う言葉は知っていたが実際に言葉は当てはまっている人を見るのはこれが初めてだった。 彼の足を見ると破れたズボンに血がついている。そして足には犬の歯型が・・・・・悪いと思ったが、可笑しい・・・・・「病院に付き合いますから一緒に行きましょう」と半分笑いながら言ってしまった。

狂犬病は発症すると100パーセント死んでしまう怖い感染病だ!インドでもコレラ同様年間相当な人がかかってなくなっているとも聞いていた。 安易に考えていたS氏を説得して病院へ・・・・・・

 

病院へ

 

病院と言っても個人経営の診療所で今でいうクリニックで見てもらうことにした。医者は何処から見ても、胡散臭そうなやつだ。そして問診が始まり二人は英語で話している。 当時の僕の英語力ではすべての内容を理解することはできなかったが、S氏は僕に説明しながら問診を受けていた。というのも狂犬病の血清注射は1回で終わるのではなく、ある程度の期間に何回か摂取しないといけないらしいのだ。 そこで血清も2種類あって医者いわく、人から作ったものと動物から作ったのもがあるという・・・・勿論、動物から作った方は安く、あまり良くない・・・・つまりもう一つはグッドクオリティーだか高い・・・・・どっちにする・・・・と、これはまたお得意のフェイクではないか!!!?こいつらは人の弱みにつけ込んでくるのか!!!?と思った。 S氏は「どっちが言いと思う?」 僕に聞いた。「それは僕がどうこう言えないし、Sさんが決めた方がいいと思いますが・・・・・」こんなときに安いほうなんて薦められない、もし万が一何かあったら責任なんて取れないが、「強いて言うなら、人のほう・・・」と言うと、Sは呟くように「・・・・・・人のほう・・・お願いします・・・・・」と医者に告げたのだった。 忘れられない事件になってしまった。

日本に帰ってもS氏としばらく交流は続いたのだが・・・・・・

 

それから、S氏に晩飯を誘うと「今日は注射に行かないといけないんだよね・・・」と断られることがあったのだった。 それから僕も旅の疲れが出たのか、熱が出て暫く寝込むことになったのだった。

 

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長期旅行 インド編 アグラ、タージマハル

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ちょっと知らない町へいってみたら、人気者になった・・・・??

 

エロチック寺院を穴が開くほど見ても何かが満たされることはないし、基本的に時代背景を知らないと旧所名跡めぐりの楽しみは半減する。したがって、僕はそこに行ったということに満足し、人の半分以下の時間で事は済んでしまうのである。 バスにのって少し郊外に出て、そして知らない場所に下りてみた。バスを降りると物珍しそうに大勢の人が僕を囲んできた。多分、初めて近くで見るモンゴロイド系の人間を目の前にして興味津々であったのだろう、口々にヒンズー語で僕に質問を投げかけて来るが、さっぱり分からない・・・一人の少年が「what your name?」 いきなり名前を聞くのかよ!?と思ったが、「MAKOTO」と答えたと同時に村の衆は笑うのである・・・・それも大笑いである。 初めて聞く名前で彼らにとってへんてこなサウンドであったのではないかと推測したが、そのときは「何がおもろいねん!」と日本語で呟いたのを覚えている。 そして彼は彼のカバンに入っていた英語の教科書をおもむろに僕に突き出して、「これ読めるか!?」という・・・・そのぐらいは読める! 見たら簡単な英語だ! そつなく読んだつもりだが、また大笑いをされる・・・・何が面白いのだ!! と思いこっちも笑いながら歩き始めた。小腹が減ったので何か食べるものを物色していた。 ふと振り返ると僕の後にニコニコしながらその群集がついてきている・・・・・なんじゃこりゃ!!? 屋台でりんごを見つけた。しばらくフルーツは食べていなかったの買ってみると、また後ろで笑い声が・・・・・振り返るとまだ僕の後に何人かの村の衆がついてきている。 そして、りんごをかじると、笑い声が! 所謂僕は彼らにとって非日常的な存在でなんか新鮮な感じがしたかもしれない。ひょっとするとはじめて生でアーリア人以外の人間を見たのかもしれない・・・・そういう彼らのことを僕も新鮮で素朴で良いと思った・・・・・・反面、とてもめんどくさいく感じてしまった。そして反対の方から来たカジュラホ行きのバスに飛び乗ったのだった。 カジュラホに戻ると一日遅れでバラナシのロッジで一緒だったポーカーの中心人物のS氏がやって来た。 彼も長期旅行中で中国ベトナム、タイを回ってインドにきていた。 僕がカジュラホにまだ居ると踏んで、追いかけて来たようだった。 カジュラホはそんなに大きい村では無く、大抵一日あれば全部の寺院は観て回れる・・・・後は何もない、ゆっくりと時間をのんびりと過ごすしかないのだ。S氏はアグラに同行するといったので彼の観光待ちで滞在を少し伸ばして一緒にアグラに向かうことにした。

 

アグラへ

 

電車でアグラまで・・・・・アグラ駅に着くと大勢の客引きがうんざりするほどいた。それもそのはず、ここアグラは大観光地、世界遺産がある町だ。毎日夥しい観光客が押し寄せる。 そして駅から出ると恒例のあの儀式が始まった。「マスタル、マスタル、ウェア ユル ゴー?ゲット イン!」・・・・ オートリキシャとリキシャである。駅からと遠く無いホテルを決めていたので勿論、何処に行かれるか分からないポンコツの乗りもんなんて無用であった。 歩く間ずっと2台のリキシャがストーカのごとく後に横にとピタリとそのポジションを取ってお決まりのフレーズを投げかけてくる。良い意味で粘り強い人たちで、悪く言うとスーパーが付くほどしつこいヤツらである。僕らの歩幅に合わせてその距離を保ちながら、あのせりふを呪文のごとく浴びせてくる。「 ウィ ドント ニード!」何度か、やり取りの後でホテルの前に着いた。「僕らはここに泊まる!」と言っても帰らないし、おまけにリキシャは「俺がホテルに言ってあげるから任せろ!」的に言ってくる、もうホテルの前なのにどう任せるんだ!!?彼らは客を連れてきたとホテルに見せかけてバックマージンを貰おうとしているのだ!  小2くらいがするような幼稚であざといやり口だ! これがインドのやり方!簡単に諦めないインド商法の基盤を又、垣間見た。 チェックインをしている間も彼らは帰らず、外で僕らが気が変わって他のホテルを探すことになる期待を持って、僕らが出てくるのをずっと待っていた。ジブトイ!!! いよいよ、有名な世界遺産を見に行く!

 

世界遺産

 

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インドではすべての乗り物の印象はすこぶる悪く、できるなら乗らずになるべく歩こうと言う気持ちになってきていた。しかしながら、タージマハルまでは歩くのは大変だったので、仕方なくオートリキシャを捕まえた。 そのオートリキシャには運転手と他にひとり乗り合わせていた。 嫌な予感がしたがS氏は交渉しまっていた。S氏は華奢でいざと言う時には頼りにはならないと思ったが、ひとりじゃないし・・・まあ大丈夫かと思いそのリキシャに乗り込んだ。心配だったので地図を見ながら乗っていた、やはり悪い予感は的中した。道が違う!S氏は「違うじゃないか!」 運転手たちは行く前に絨毯を見に行こうという、行けばリキシャ代はタダだと・・・・僕たちは当然NO!いらない!! リキシャは二人で少しすごんで来た。 こちもテンション上がってくる!「STOP!STOP!」 悪党・・・「レッツゴーー カーペットショップ!」 悪党じゃない方・・・「止まれ とまらんか!」   悪党・・・「NO!」 僕は思わず運転手の方を握り「止まれ ボケ!」 彼らは 「Dont touch me!!] 激しい口調で言われた。切れてしまった。「止まらんかい!ボケ!走っているリキシャから足を出してブレーキ、大声をはりあげる! リキシャ内側ををひじ打ち、蹴ってして何とか静止させた! こうなったら「FUCK YOU!!」の言い合いだ。しかし、ここで手を出せば危ない! インドでは行方不明者の旅行者がたくさんいるらしい。 僕が行っていた時も日本人の若者が行方不明になり大使館からのチラシなどの張り紙がそこらへんにばら撒かれていた。 悪党たちは悪いことをしてもガンガーで沐浴すればすべて帳消しになるといわれているので悪さをしては沐浴するというルーティングを持っているらしい。 おまけに聖なる河に死体があっても日常的なことで不思議ではない。噂では相当の人数の外国人がガンガーに流されているらしい。それを踏まえて行動しなければ、こんな場所で死ぬことになるかもしれない。そのFワードを言いながらその輩から少しずつ遠ざかって違うリキシャに飛び乗った。 インドに来てからこういう嫌な気分を幾度と無く味わらせられる。何事もスムーズに行かない、観光地に於いての客引きやこう言った輩たちの態度、飯もいまいち、モラル感の違いで僕の中のインドの嫌い度は78パーセントだ。もうインドを離れてほかの国を旅行しようかとも思ったが、一番行きたかったアジャンタまでは我慢することにした。 

タージマハルは代表的な建造物でインドといえばタージマハルである。 離れてみるその姿は雄大でなんとも美しく、その逸話もロマンチックだ。近づくと大理石は黒ずんでいて、遠くから見るほど綺麗ではなく、その歴史と歳月を感じることができる。 S氏は兎に角写真を撮りまくる。彼は写真家ではないが一級建築士で古いムガール帝国のこういう建築を自分の作る建物に取り入れようとしていた。したがって、普通の人が見物する時間よりも多く要した。しかし、自分が写る写真は全く興味を示さず、記念だからと言っても断るような少し変わり者のように思えた。彼と僕の行く先が一緒だったのでデリーも同行することになった。そしてあの忘れられない出来事に遭遇するのであった。

 

長期旅行 インド編 バラナシで物乞いしてみた!

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インドで暇つぶしは映画に限る!

 

インドではTVは詰まらなくて映画が庶民の娯楽ナンバー1だった。

そして、インドは世界屈指の映画大国だ!つまり何処の国よりも自国で映画を量産しているそうだ。最近では素人の外国人でも俳優としての需要があり世界を駆け巡っている西洋人などは仕事をももめて行っている様だ。 映画の内容は今は知らないが、僕が行った時は簡単明快で誰にでも分かる内容だった。ザックと言うと正義の味方と悪者そこに恋愛やアクション、敵討ち ダンスアンドミュージカルで、一つの映画に脈略も無しで何でもかんでもブチ込んでくる。大スペクタル、ロマンス、アクション。ミュージカルムービーと呼ぶべきかそれが今のボリウッド映画につながっている。その日、ロッジにいた日本人旅行者が香港の泊り客と一緒に映画に行くと言っていたので、僕も同行させてもらうことにした。その映画はリバイバル映画だったらしく通常のロードショウよりの安かった。はっきりとは入場料は覚えていないが4、5ルーピーぐらいだったと思う。インターネットも無い時代テレビゲームはあったがPCの普及もしていない、ましてテレビはつまらなく、唯一、安価で楽しめるのが映画だ。 映画館はエアコンも効いていて快適だし休憩するのにも最適な場所だ。映画館の中は正にあの映画「ニューシネマパラダイス」の雰囲気そのままで、昼間にもかかわらずそこそこの人数がいて、観客は中でタバコを吸い、飲み食いしている。せりふに突っ込みを入れたり歓喜を上げたりする、そして終わりは拍手喝采だ!映画鑑賞と言うか、あれはLIVEな感じだった。

僕らは横並びに5人座った。前にも何人か座っていた。その中に爺さんをその孫が僕のまん前に座っていた。 爺さんは初めは後ろをちらちら僕らを見ていた。そりゃ珍し買ったのであろう黄色人種が後ろの5人も並んでいるのだから。その爺さんは僕らに話しかけてきた・・・・何処から来た?何処に泊まっているのか?そして観ていないと話がわからなくなるよ、と言うと爺さんはわしは5回も見ているから話は知っている、良し君たちにこの映画の登場人物の関係性を教えてあげようとヒンズー語で説明しだした。大きなお世話だが親切だ・・・・説明されてもヒンズーは分からないからある意味映画に集中できた。インド人はとてもフレンドリーな面を持ち合わせているのだ。

 

 

バクシーシー返し!

 

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インドで大変なことは物乞いの対処、つまりどう追っ払いうかだ!!彼らはイクラちゃんのように「バーブー(お父さん)!バーブー(お父さん)」と言ってお金をもらをうとする。僕は何かこういったひとにお金をあげるという行為は自分の立場が上になり蔑みにつながることに違和感があり、一人にあげてしまうと全ての人にしなければ差別になるのではないかと考えていた。物乞いたちはなかなかのしぶとさだ!ちょっとやそっとでは諦めない!  僕はおそらく物乞いは自分の金を取られるのが嫌で退散すのではないかと思い、逆に手を差し出して「バブー!」 と言った。どうだ!「バブー!バクシーシー返しだ!!」 すると物乞いは僕の手のひらに1パイサを置いた。 僕はびっくりして手のひらのおもちゃのようなコインを物乞いに返した。 予想だにしなかった不思議な感覚だった。彼らはインド人として生まれ、カーストは当たり前のように受け止めている、カーストがある限り、底辺のもうは職業の選択など、すべて可能性を断たれシュードラ(奴隷)として生きなくてはいけない。カーストに誇りを持ち自分よりもしたの人間に対して施しをするという何かしらの精神が作用させて僕にくれたのではないかと勝手に解釈した。まだまだインドが少ししか見えてこないが、少しだけ大きなギャップを楽しめてきている僕がいた・・・・・

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エロティックな寺院 カジュラホ

 

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友人Mの具合が良くなった。 僕に「インドはもういい・・・帰るわ・・」と言いた。 そりゃそうだ! 異国での病気は不安度は120パーセントだ。 それより日本で静養したほうが良い、と思った瞬間と同時にMは「バンコクに!」と言いた。日本に帰るのではなくバンコクで静養するつもりなのか?コイツもなかなかの兵だと思った。そして僕は一人でカジュラホに向かった。 カジュラホはヒンズー教寺院の村でその施された彫刻はエロッチックで有名なところなのだ。 そこでジュガルというインド人とであった。 彼も日本語が堪能で日本に住んでいたことがあるのだ。どこでもそうなんだがこういう日本語が堪能なやつには気をつけなければならないのは旅の常識だ。彼は宝石を扱っているブローカーだった。がしかし、こっちが身構えチェいても、一向に商売らしきアクッションを起してこないのだ。 別に害があるわけでは無かったので、彼のうちに遊びに言ったりした。 流暢な日本語なので会話は普通にすることができた。インド人の思考と言うか彼の持論は共感はしないがとても興味深かった。彼は関西の宝塚に日本人の彼女がいた。 すごく愛していたが、カースト制度のせいと、親の決めた相手と結婚しなければいけないという掟があり、彼女と別れてしまったという。本当に好きな相手とインド人は結婚できないから彼はカジュラホに来る外国人と浮名を流すという・・・・彼はカジュラホで有名なジゴロだったのだ!!!かった端から声を掛ける選り好みは一切しない・・・・・一般にブスと呼ばれる子の関係ない・・・・その当時インドに来る特に日本の女は変わり者で所謂、綺麗な女はほとんどこなかったが、インドではそんな子でももてっるからリピーターになる人も少なくなかった。

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