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鮮明に思い出す思い出

年を重ねるたび、脳の細胞に入り込んでいるひとつひとつの思い出が、次々と蓋をされていくように思える。

時々、思い出す機会があればその鮮明さも保たれるのだが、思い出す機会もなくなっていくと、あの鮮明だった記憶が断片的な思い出と変わってしまう。

しかし、この幼い頃のエピソードは衝撃的であったのか、あの1シーンはときどき無意識に思い出させる。

高度成長期の幼少時代

僕が生まれたのは日本の高度成長期真っ只中。

1962年、懐かしい映画、Always3丁目の夕日、まさにあの時代。

舗装されていない道に、木製のゴミ箱、側溝はドブと呼ばれ、その上には木製のどぶ板が張り詰められていた。

Always3丁目の夕日 は僕が生まれた62年よりの少し前の時代設定だが、それ以降のトレンドは「団地に住むこと!」。当時は、団地での生活は今までの生活様式を脱したニューウェーブだったらしく、僕の家族もそのトレンドの波に乗って、茨木の総持寺団地に4年ほど住んでいたのである。

Daveちゃんの幼少時代の性格

母曰く。そのころの僕は人見知りすることはなく,誰にでも愛想を振りまくる、八方美人タイプですべて目に入るもの、手に触れるものが,興味の対象だったらしい。

ある日、映画好きの叔父が遊びに来た。今のような娯楽があふれかえっている時代ではなく、映画が唯一の娯楽だった。だから映画好きと言うよりも誰もが映画好きだったのだから、普通の人といってもいいのかもしれない。

勿論、普通のことを述べますが、叔父は石原裕次郎ファンであった。 すぐに思い出せる青春スターは小林旭赤木圭一郎ぐらいしかないのだが・・・叔父はよく映画に連れて行ってくれた。

落ち着きのなかった僕は大人しく映画を見ていたらしい、それが原因なのか、先天的なのか、今も変わらず映画好きだ。

叔父と出かけたのが運の尽き

その叔父に連れられて出かけ、どこへ行こうとしていたのか覚えてはいない。

目に飛び込んできたのは走る車だった。止まっている車には触ったことがある。

しかし走っている車はない・・・その欲求に負けてしまった。触ってしまったのである。触った瞬間、その小さな体は飛ばされ、そして東洋の魔女のような回転レシーブ。何度か回転し、どぶ板に突っ込んだ。そこからの病院に行くまでの記憶は飛んでしまっている。

脳裏に残るモノクロのシーン

痛かったかどうかも覚えてはいないが、8ミリで記録したかのようにモノクロのあの1シーンは脳裏に刻み込まれ、そして鮮明に覚えている。世の中にはこんな些細な好奇心が、大きな事故などに繋がることもあるのだろう。

死なくてラッキーでした・・・感謝感謝。

人間は生と死の狭間で生きていが、身近に感じている人は多くないんだろな・・・。

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