ふぐとすし
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高度成長時代に商売をすること
6歳から12年間の多感な時期を豊中で過ごした。
なぜなら、そこで両親が家を購入したからだった 家といっても店舗つき住宅のようなもので中身は三軒長屋の一戸で商売を始めたのであった。
クレジット会社などない時代に月賦払いを適用し時代の流れの後押しもあり、今では考えられない立地の悪い場所で紳士服、婦人服、ラドー、セイコーなどの時計、指輪、ネックレスなど貴金属、オマケに着物なども扱い、かなりの売り上げをしたようであった。
普通の人、つまり勤め人より比較的金持ちであるということ、それは高度成長に自営業をしていたということだったように思われる。
今では退化、消滅してしまった商売が大盛況だった良き時代。誰もが希望にあふれた未来を描くことができた時代だった。
ウチもその金持ち中のひとつであった。仕入れの量もハンパなかったようだ、ウチに対する問屋の対応も日増しに良くなっていき、あの時代に夫婦でハワイ旅行やアメリカ、カナダなどにもご招待されていた。
1ドル360円から引き下げられても310円ぐらいの時代、平均月収も10万に満たない、350mlのビールが150円ぐらいの時に・・・
食通として養われていく舌
その時代に小学生だった僕は食通でもあった。
両親は良い物をたらふく食べさせてくれた。
僕はいくら掛かるか、まったく気にもせず、うまいものを自分の舌に知らず知らずのうちに覚えこませていった。
近所に虎寿司という店に家族でしばしば訪れた。そこには大将と虎と一緒に写っている写真があった。昔、違う場所で飼っていたとか、飼ってなかったとか・・・・?虎を飼う??凄すぎる!!
しかし、虎寿司の寿司は旨かった。白身、えびの踊り、赤貝、マグロ、とろ、貝柱をあぶって酢橘を少し垂らして頂くことも覚えたのだ。贅沢だ!とても!
これぞ寿司!回っているあれとは違う料理だった。
もちろんハンバーグや唐揚げなど乗せていないのだ。
魚・・・シーフードだ!しかし赤出汁に入っているヤツは海のものではない。
池!それはじゅんさい!あの食感、ツルっとニュると・・・旨いと思った。
いや、「これが旨い!!」とあの虎寿司の指導者こと”大将“に洗脳されていったのかもしれない。 違うすし屋でも“おっちゃん、貝柱あぶって!すこし酢橘しぼってなぁ”てなぐわいで、僕はスーパーウルトラ生意気小僧であった。
大阪名物といえば、フグ(河豚)!
また、虎寿司の斜迎えが幸か不幸か、てっちり屋であった、つまりふぐ屋、ふぐ鍋に、てっさ(ふぐ刺し)湯びき(皮)などのあり一品も多少なりともあったのだった。
まず、てっちりの前にえびの塩焼きを2~3本喰い、湯引きに、てっさ、あとは鍋のお決まりのコース。
両親が忙しい時は、ひとりでツケで喰らい、そしてお決まりのコースから・・・
えび、そして湯引き、てっさ・・・流石に子供一人では鍋までは無理!
小ぶりの雑炊でしめて帰る小僧だった。金持ちの小僧はひとりでふぐを喰らう!
まわりの大人はさぞ、その子供を小突きたかったに違いない!間違いない!
僕がそこにいたら、ほっぺを抓って泣かしていただろう。
せやかて、憎たらしいやん!