日本語教師として2
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面接から数ヶ月が過ぎ・・・
その大学の一学期は6月から開始と聞いていたが、もう6月は過ぎていた・・・。
心配になり、友人に連絡を取ったところ、タイの警察署で証明書(犯罪暦の有無)を取らないといけないといわれ、その大学の人事と会い、一緒に向かうこととなった。
その当日、午後1時の待ち合わせ、警察署の前で・・・
僕は日本人の感覚で約束の時間の15分前には行っておきたい。タイ語学校が終わってスムーズに30分も前に行けてしまった。遅れるよりいい!
炎天下の中、影を探しながらその人事を待った。
たぶんオンタイムには来ないだろうと腹をくくっていた・・・
1時15分、タイ人だからな・・・と思い・・・
1時30分、何か事情で遅れているかも・・・?
もう、来るだろう・・・1時45分・・・
2時になっても来なければ連絡しよう・・
2時過ぎ電話した。人事の彼はつたない英語で悪びれもせず、今の現状を述べた。
サイアムスクエアー周辺のどこかの銀行にいるらしい。
僕とのアポイントメントがあるのになぜ銀行に!
ムッとしたがこらえた。「じゃ今からそちらに向かいます」と僕・・・
この警察署からサイアムスクエアーまでは遠くない・・・
サイアム到着後にもう一度電話して見る・・・・
場所の変更!どこに行けばいいか良く分からない、相手の英語が分からない・・
結局、バイクタクシーに電話を代わって貰い、目的地の場所に行く。
着いたところは目と鼻の先のパラゴンではないか!
バイタクは30バーツ要求した!ぶっ飛ばしたかったがグッとこらえて20バーツを渡し、クライマークマークジャン(近すぎ!!)20バーツポーレウ!(十分)と言い放ってやった。
凄んだのでバイタクの運ちゃんはシブシブその20バーツを受け取った。
それで、そこのマクドナルドで待ち合わせ・・・まるで身代金を渡す状況だ!
次の電話でまた場所が変わるのでは・・・と思った。人事は電話してからこちらに向かうと言ったので、またひたすら電話が来るのをマックで待った・・・
もう3時半だ・・・
クソ!人生でこんなに待ったことは無い!っていうかこんなに待たされたことは無い!
4時になったら帰る決心をした・・・4時まで待つ!人間が成長したのか?!それとも単なる馬鹿なのか?! 悪夢だ!
そして4時、アホらしくて、そのクソ人事に電話すら掛けないで帰る。
掛けないのはヒトカケラのプライドだった。
帰りのバスの中、疲労感に襲われた、情けない!
アパートに着くや否やクソ人事から電話、「why not macdonald(なぜマクドナルドにいない)!where you now(今どこ)?」
僕は冷静を装っていたが心の中ではキレていた・・・
静かな口調でいった・・・
「What are you talking about? I had been waiting for 4hours. But you didn’t call me when I was waiting at the Mcdonalds restaurant!」
「Do you get what I feel!」
「Your attitude was kind of rude! Impolite! ! ・・・」
クソ人事「sorry, please give chance meet again」
本当だったら所々にhell、 fuckingなども入れたかったがこらえた。
それから、I never give you a chance! Never ever! と言いたかったが,
無い腹は背に変えられん!
ここは暫し、小さなプライドを捨ててこのクソ人事を許そうと・・・
最後にそのクソ人事は“サンキュー シーユー バイ バーイとスーパー軽い感じで電話を切りやがった!・・・抑えた怒りがまたこみ上げてきた!FUCK!
後日、クソ人事と会い警察署に行きっ必要書類に記入し両手の指紋を提出し、手数料を払い無事終了!あとは書類が出来るまで1ヶ月!
そして、クソ人事はその書類が出来次第連絡するの事。
そして、1ヶ月が過ぎ、そして3年たった今も連絡がない。一事が万事か?!
もし、あのクソ人事にあったならヤツの脛にローキックを3発食らわせてやる!
ここはタイ・・・すべてにおいて不確実だ! 何事も期待しないほうがいい・・・・
ヤフオクでしのぐ・・・
こんな人事のいる学校はいずれトラブルになるかもしれない!信用できない!と思い、同時期にはじめたヤフオクを生活の糧にした。 ここタイにはヤフオクで生活している人がかなりいるらしい。売るものか豊富で安い!
そこで古着のアロハを売ることした。 近隣の国からなぜか中古アロハが入ってくる。
それも安価で!!タイ人は中古アロハの値打ちを知らないので、安い値段で売り買いされている。
Ebayやヤフオクで3~4000円ぐらいになるようなお値打ちものアロハが探せばたくさんあった。勿論、それ以上も!ビンテージなどもあった・・・・
衣類などはプラトゥナム、チャイナタウンのヤワラーにもたくさん面白いものも売られている。中学の同級生も年に2,3回来ては、そこで大量に仕入れて帰っている。
バンコクでは日本人バイヤーをたくさん見ることができたのだ。
しかし、バーツの高騰と日本のデフレでタイで仕入れる旨みは薄れてきているようだ。
やはり日本では値段の勝負!
薄利での商売は金を回しているだけで、ちゃんとした利益はない!だから日本における一般的な商売の旨みはない。ここ最近では、ヤフオクも例外ではなかった。
始めた頃は、これなら生活の基盤をヤフオクに置ける!と思うぐらい、そこそこの利益は確保できた。しかし、今ではその利益の3分の1にも満たない。これじゃだめだ! 今、バンコクの郊外バンケーに住んでいるので、固定費はあまりかからないが、これだけでは、どの道先行きは不安だ。
何とかバーツを稼がなくては・・・・
どどのつまりで
近所のデパートにTHE MALLがあり、そこにはいくつかの語学学校があった。
その一つの学校のドア越しから、みんなの日本語の教科書が見えた。
ここなら日本語の授業があるかも・・?
日本人がやっている学校での就職、仕事を貰うことはほとんど無理だと思っていた。
だけど、ここはタイ人経営だ!どどのつまりで近所の語学学校ダメもとでアタックした。英語の履歴書と420時間の認定書を持って行き、英語で” im finding a job as a Japanese teacher” なんて・・・
英語が話せると言ことはここタイではアドバンテージだ!そして一目置かれる。
タイ語で話すと僕の発音がいい意味でかどうか知らないが、cuteらしい
しかし、全体通すと理解不明で馬鹿にされることがある。
ナメられることは特にタイでは禁物だ!英語で押し通す!!!
馬鹿にされると上に上がるのは至難の技だ!!
面接らしきものも無く僕がそろえた書類を上層部に送って、はい、おしまい!
あっさりしていた。スタッフは ”また連絡します” とのこと・・・
何日か経ったある日、SMSにそこのトップらしき人からかなり流暢な日本語で“ECCのバンナーで仕事があるから、これから宜しくお願いします” という内容のメッセージがあった。
やった!! 仕事にありつけるぞ!!と意気揚々!連絡を待った、そして一か月が過ぎ、二か月過ぎ、“またか!!?”悪夢再来!と思った。
そもそも、そんなに期待はしていなかったが・・・やぱり・・・
一応トップに今一度、連絡してみよう! ダメもとついでに・・・
そして、メールが帰ってきた・・・・・
“ECCのスタッフはあなたに連絡した”と言っていますと・・・
“聞いてないよぉー まったく、ぜんぜん!!!
そのトップは“もう一度連絡させます”と・・・
そして、スタッフから連絡が来た・・・・今週の週末から仕事して貰います!と・・ がっかりしたと思ったら急に仕事!!フラフラにさせられる・・・
そんな訳で日本語教師としての仕事がスタートすることができた。
知り合いの紹介でプライベートの生徒も何人か確保できたが、まだまだ収入はタイで働く日本人としては良くない。もっと上を目指さなければならない。溺れるものは藁をも掴むで、やっと藁を掴んだ。
それを藁しべ長者の藁にしなくてはならない!次はカナブンだ!
せやかて・・・・ほんま疲れますわ・・・・