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長期旅行 ネパール 編

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惹かれた理由は神々の住む頂、そして神秘の国?

26歳で憧れのヒマラヤトレッキングの目的の為、無理やり友人のMを誘いネパールへ

そしてビートルズも影響されたインドに!!初めての長期旅行の始まりだった。

沢木耕太郎の深夜特急を読み影響されて、アジアを旅していた人は少なくなかったが、

僕はあの本は読んでいなかった。実はあの時、存在さえ知らなかった。世界情勢も無頓着でチベット侵攻も知らなかった無知であった。

友人から貰った藤原新也の影響もあったが、一番影響を受けたのはネパール、インドに行ったことのある年上の友人の話だった。その話は何とも不思議で世間から見ると僕は常識人ではなかったが、自分の中の常識に当てはまることが無かった。面白そうだ!!ビートルズも影響された国でもあり、自分の中の冒険心がより一層触発されてしまった。年上の友人は潜水夫で若くして海で亡くなってしまったのだがMがお気に入りのカフェのマスターの友人だった。ちなみに店の名前はjunkieだ!!

 その名のとおり、あれやこれやの愛好家たちが集まるような店であったのだ。

僕は彼の話からその神秘的な魅力に訪れてみたい思いを募らせていった。

現代音楽に影響されていないそういう場所に行ってもう一度、音楽を客観視して自分自身の中から初めて音楽に出会った頃の思いと情熱を蘇らせ、そしてこれからの音楽活動や製作に於いて生かせていければと思った。文化も違い、都会との生活には程遠い世界の中に浸りたてみたかった。

本音は興味本位で一般的に著名なロックスターたちが常用しているアルファベットMからはじまる魔法のあれにどっぷり触れてみたかっただけなのだが・・・・・

 

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バンコクから長期旅行

 

今は日本に居ても何処にいても、インターネットで航空券の手配は値段的には変わりはしないが、以前はそれと違ってバンコクに行けば、様々な国行きの格安の航空チケットを購入することが唯一可能であった。ゆえに、長期旅行者にとってハブ的な役割を担う場所で長期旅行はまずバンコクからだったのだ。 昔は多くの日本人にとってタイはピーンとくるような場所ではなかった。 台湾とごっちゃになっている人も多かったし、事実、親父は僕がタイに行っていると思っていなくて、後でしきりに台湾の首都や食事の内容を聞いてきた・・・・・僕は面倒だったので事実は告げず、唯、「台北・・・旨かったよ・・・」と親父に教えると自分のフィリピンの経験を話し出した・・・・・

 

タイはある一部の人たちがフィリピン同様、女目的だけに来る男たちにとって安価で遊べるパラダイスだった。その感覚がある人たちにとってタイ旅行の目的は売春だと勘違いされていた。そう親父は売春ツアーに行ったのだった。その時同じ穴の狢と感じ、マンズトークしたかったのではあろうか?しかし、親子関係ではその類はタブー視したほうがいいのではないか・・・・と思う・・・・

今はバンコクには発展国であるが、その当時は、発展途上国であったし、島のリゾートとバックパッカーの聖地カオサンでしか英語は通じなかった。今は中心街にいるタイ人の若者の多くは英語が分かるし高等教育を受けているタイ人はその英語力も遥かに日本人よりの上だと感じている。バンコク市内でも英語表記は少なく、郊外に出るとタイ語表記のみで、まったく何のことかタイ語を勉強しないとたちまち困ってしまうのだった。BTSもMRT無かったし、公共の乗り物はどこへ行くのも時間が驚異的に掛かり、ツゥクツゥクもタクシーも値段交渉が面倒だった。勿論、日本食もポピュラーではなかったし、高島屋、大丸はあったが、閑散としていて、気の聞いたデパートはMBKぐらいだった。 女子大生やOL、カップル、家族ずれが買い物、観光、料理、エステなどの目的でくるような所では一切無かった。 女の旅行者はいたが、学生や退職者で殆どが自分探しという名目で旅をするような日本に於いて少し変わり者のバックパッカーであった。

余談ではあるが、僕はそういう類の人間だったが、そういう女性は好まなかった・・・・・

カオサンには日本人のバックパッカーはそんなにも多くなかったように感じていた。今は存在しないが、日本人の常宿はチャイナタウンにあるジュライホテルか楽宮ホテルが多かったように覚えている。

あの周辺は立ちんぼもいて、色んな意味で便利であったからだろう。そしてバンコクは長期貧乏旅行者にとってアジア各国やヨーロッパに陸路で行く拠点でもあった。

 

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コンパがてら女子を誘っていつもの面子、進行係と進行係になりたいヤツと大阪からタイに4日間のツアーで入った。 ネパールに同行する友人の一人Mは先に1人で先の乗りし、我々ツアーメンバーと合流した。彼はバンコクのオーソリティーで、何度も長期にわったてタイに滞在したことがあってここバンコクにおいて頼れる人材である。パンポンの情報も豊富であった。それもそのはず、バンコク滞在中は休み無く、通い続けいたのである。ネパールに同行するのはもう一人、沖縄からの参戦だ!

彼は仙台出身だが、Mの友人で彼らが石垣に住んでいたときに知り合った中だった。

僕とは初対面であった。彼は後に、タイにハマリ、タイ人の嫁と家族をイサンで築くことになった。

 

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このチャプターには関係の無い話なのだが、タイにハマッたその友人Cの話が興味深いので紹介しよう。 彼はバンコクで知り合った子持ちのイサンの女性と結婚し、その後二人の子宝にも恵まれた。車を購入してカラシンからバンコクまで無許可でタクシーをした。つまり、白タクだ!タクシーと言っても乗り合いのソンテウみたいなものでトラックの荷台に何人も乗せて運んだり、縫製の仕事もしていたようだ。

一年の内、日本に季節労働者として出稼ぎに何度か行って、その貯めた金を持って、嫁の実家であるカラシンで持ち家を建てた。完成間近の時に僕は一人で彼の家があるカラシンに訪れた。

久しぶりに日本語に飢えていたのか普段は口数が少ない彼は饒舌だった。彼の嫁の作るイサン料理は今まで食べたことの無い素晴らしい味であった。

夜の帳が下り、虫の声とヤモリの声の中、彼は少し、どこと無く声を震わせながら悩みを僕に打ち明けた。「俺・・・・怖いんだよね・・・・ここに住むの・・・・」 

「えぇ!!家があるのに・・・?!」 僕は何故かと問うた・・・・

彼曰く、ここでは犯罪が犯罪として成り立たないのだ。警察は市民を簡単に傷つける、つまらない文句を言った義理の弟は片足を拳銃で打たれ、一生不自由な生活を余儀なくされたが、何の事件にもならない。 警察はマフィアのようなものだと!これは1つの例に過ぎないと・・・・たくさんの事件や殺人事件は被害者が金を積まなければ警察は動かないのだと・・・・

Cの嫁は実の兄がいるが、働きもせず女、酒と博打に明け暮れていた。Cに金の無心し、色んなところでも借金を重ね、Cが貸すことを拒むと、Cの車を勝手に担保にして金を借りる絵に描いたようなダメ人間であると・・・・そのダメ人間が実の妹と関係を持ち、妊娠させてしまった。 日々がすぎるほど、お腹の出っぱりが気になり家族全員にバレてしまった。しかし、ある日の突然、妹のお腹のでっぱりがなくなったのだ・・

後で分かったのだが、グロすぎてここでは説明が困難であるのだが、親戚や家族のメンバーでこっそりと堕胎させたのだとか・・・・ 「あそこでやった・・・・・」 Cの住む家の向いの納屋をCは指差し告げた・・・・おいおい!!!! 首の後ろに幽かに冷気を感じた・・・

乾季の寒い時期であったが、その時、僕はgoose bumpsチキンスキンになっていたのを覚えている。

 

脱線いたしましたが、話を戻しますてぇーと・・・・・・

バンコクは金のことを気にせず遊べた、一通り、合流したメンバーと共に観光地を巡り、旨くもないタイ宮廷料理とタイ舞踊を嗜んだ。その頃からヤワラーのシーフードや大盛況であった。 ビザは国によって日本で取るほうが安かったりするのだが、バンコクは様々な国の大使館があり、ビザを取るのにも難しくない。行き当たりばったりの長期旅行にバンコクで次の行き先も吟味できるのも利点の一つかもしれない。

ネパールのビザは将来バンコクに初めて住むことになるスクンビットの71のネパール大使館で取得した。

そして、大阪チームの帰国後いよいよネパールに入国だ!