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長期旅行 ネパール 編

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カトマンズに裏切られた!

10日あまりのバンコク滞在を終え、TGでカトマンズに飛んだ。ドンムアンからカトマンズまでのフライトは3時間半、空の旅は快適であった。 どれがどの山かは認識できないが、窓からヒマラヤの山々が臨むことができた。着陸後、カトマンズの空港は「これがその国の空の玄関である国際空港なのか? これはまるで大阪の八尾空港ではないか! 東京で言う調布飛行場ではないか!愛知県で言う小牧飛場・・・・・」  しかしながら、抱いていた発展途上国のイメージと合致し、何か安心したと同時に少し不安感も覚えた。 つまり、その国の空の玄関口である場所が殺風景で過ぎで、インナーナショナルエアーポートとしてこれと言って設備は何も無い、そんな国に来てしまったのだ・・・・・降り立った空港の周りには牧草地のようで、まばらに牛が草を食していた。 開発途上国のその何も無い長閑さと不便さは自分の中に新しい感覚を植え付けてくれるのではと期待を寄せていた。そして素朴さに触れ、その汚れた心が洗い流しててくれるのではないかと考えていた。 何かが自分を変えてくれる、誰かが何かをしてくれると言う期待の真意・・・・自然に来たり、流れの中で出会ったりするものではなく、こちらこら求めて何かを得ようとすること打算なのである。 それが良いか悪いかはさておき、確かにここは自分が求めていた場所、そして、冒険心を駆り立てられる所だと感じていた。 日本語も何も通じない、日本食も、ハンバーガーも食べられないであろうと、信じていた。 

イミグレを通過して表に出た。凄まじい日本語の嵐ではないか!その抱いた期待は一瞬消え、少し落胆させられた。 そいつらはタクシーやホテルの強引な曲引きだった。 「これはつまり大量の日本人や外国人が訪れていると言うことだ!逆に言うと、アフリカのケニアには野生の動物が居なくて大都会だ!みたいな・・・・・」と思った。

カトマンズでは日本食も西洋料理もあり、僕のステレオタイプ的な勝手なイメージは後に又、覆させられるのだった。  インターネットが無い時代に情報を得るために利用したのはガイドブックだ。 旅行のスタイルによってガイドブックの選択は様々だった。僕個人の見解だが、旅で出会ったバックパッカーの80パーセント以上が情報の3割は古くて頼りにならない地球の歩き方を持っていたように感じていた。 マレーシアであった韓国人でさえ地球の歩き方韓国版を持っていた。しかし、西洋人の殆どはロンリープラネットのサバイバルキットだった。 そのバックパッカーの旅のバイブルであった地球の歩き方を見て、タメルのゲストハウスに泊まることにした。タメルのゲストハウスは割りと高めで一日3ドル、朝飯付き、ホットシャワーも付いていた。タイは水シャワーでも何とか凌げるが、ここ10月のネパールではもやしっ子の僕にとっては絶対に無理なことだった。 ゲストハウスは以外に綺麗で近くにウェスタン料理など食べられる店などもたくさんあった・・・・宿の周りは何となく世界で指折りの貧民国のイメージはなく、不謹慎だが期待したその貧民国を堪能できないかも、と感じた。 一方で街中のインドラチョーク周辺は期待通りのネパールがあった。人や子供が何処と無く汚い・・・・・外に出ると泥だらけの子供がついてきて写真に写りたくてせがんでくる。撮っても見られないのに・・・ 建物も汚い、おまけにピサの斜塔のようにどう見てもまっすぐに経っていない・・・

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これでは、アトラクション無しのアミューズメントパークにいる気分ではないか!長時間は楽しめないが、いつ倒れるかが心配で心拍数はお化け屋敷に入る直前と同じくらい脈打っているのでは・・・と大袈裟に考えている自分に笑ったのだった。 迷路のような路地に犇めき合って傾いた建物の中で様々な商売も営まれていた。肉屋では主にヤギとチキンをよく目にした。 肉には一度にこんなに何匹も見たことの無い夥しい数のハエがたかっていて生臭い臭いがしていた。 普通の日本人があの光景を見れば食欲も購買意欲も失せるであろう。 神経質の人は卒倒するかもしれない。 普段の視界に入るものは富とは縁遠いものがとびこんでくるが、上と見上げるとそれとは別世界の素晴らしい絵が視界に飛び込んできた・・・・ゲストハウスの屋上か雄大なヒマラヤの山々が覗けたのだ。そしてヒマラヤを見ながら朝食・・・・その景色を見ながらの豪華な朝食ではなかろうとも優雅な気持ちにさせてくれた。生きている実感とその素晴らしさを感じることが出来る時間だった。タメルは何か刺激的なものに欠けていたように感じてフリークストリートに宿を変えることになったが、フリークストリートの周辺は乾燥して埃ぽくて、咳がとまらなくなった・・・夜通し止まらなくて連れに迷惑をかけてしまった。フリークストリーは麻薬の売人の坩堝でもあり、路地の至る所から声をかけられる。ガンジャ・ハシシ、オピュームなど・・・・ 山に行けばその辺に生えて積んではすえると聞いていたのでここカトマンズで買わなくても良いかと思い、ポカラまで我慢することにした。 トッレキング目的で興味は皆無だったが、せっかくなので有名どころの生意気にもガイドを雇い観光地を巡った。欠陥人間、若輩者が安価でモンキーテンプル、バクダプル、バクシンカリなど案内させてた。金の無い馬鹿な人間くせに何か勘違いさせる恐れのある場所だ!!ネパールは・・・・・そして、いざ、ポカらへ!

 

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ヒマラヤ雖ものどの山を選ぶか・・・・

 

その当時、海派の僕は山登りの趣味などは一切無かったが、神々の住むと言われるヒマラヤに引き寄せられるようにトレッキングする事に随分前から思いを馳せていった。そこに行けば神的な何か崇高なものをそばで体感できるであろうと、馬鹿なミュージシャンらしく、はなはだしく勘違いをしていたのだ。

最初はどうせ行くなら世界最高峰のエベレストトレッキングに行こうと思いカトマンズまでやってきた。しかし、シーズンはルクラまでの飛行機の予約は取りにくいようだった 今のようにウェッブで事前に日本から予約できる訳ではない、たとえ飛行機のシーが取れても、体を順応させる時間を取らなければ高山病で死ぬ!!と現地での情報にビビらされた。バスで行くとしてもトレッキングの全行程で1ヶ月ぐらいは要する。ネパールには様々なトレッキングのルートがある。アンナプルナの外院も20日あまりかかるようだ。ビザは1ヶ月だったし、ポカラ方面はヒマラヤの花嫁を読んでいたこともあり、まったく未知の場所ではなかったし、延長するのも面倒なので、一週間ぐらいで気軽に往復できそうなアンナプルナの内院のルートに安易な気持ちで変更した。

 

 

死と隣り合わせ、危険なデコボコの山道を7時間・・・・

 

バスでカトマンズからポカラは200キロ西へ進む。 たかが200キロを7時間も掛けて行かなくてはならない。その今にも止まりそうなオンボロの定員オーバーのバスに乗って始めて理解することが出来た。 舗装されていないデコボコの山道だから無闇に飛ばせないし、片側は崖っぷちで対向車とすれ違う時はスレスレでさらに減速しないといけないのである。 タイの長距離バスも追い越すときに緊張感が走るのだが、毎回、対向車があるときはスリル万点で奈落に転げ落ちる心配をし、肘掛を強くつかみ、座席の下にあるはずの無いブレーキを無意識に踏まなければならない。 現に途中で渋滞に巻き込まれた。他の乗客が降りて情報を仕入れてきた。崖からバスが川に転落してバスの乗客が数人溺死んだと・・・気が気でない!!夜行バスなのにもかかわらず、7時間の間、アホな顔して口を開けて呑気に寝てはいられなかった。

疲れに負けて寝てしまっていた・・・目を覚まして、窓の外を見たら朝もやが立ちこめていた・・・何とか生きている・・・・

 

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無事ポカラのバス停に到着した。ほっとしてバスを降りるやいなや、宿の客引きだ!!バトリング砲のような日本語の嵐!「ここもか!!!」バスの到着時間にあわせて待ち受けていた。宿を探すのも面倒だし・・・一重まぶたの柴田恭平似のあんちゃんのしつこい客引きに負けて彼の働くゲストハウスに仕方なく宿を構えることになった。 彼はその代償に僕たちに“恭平“呼ばわりされるはめになった。 始めは何のことか分からないでいたが、何度もそう呼ぶので自分のことを恭平と少しずつ認識しているようであった。 ゲストハウスはやはりジメジメとしていて壁なんかも湿気でシミがあるような部屋だ。シャワーは部屋に無く共同だ。そこの宿にはティケという小僧がいた。 年のころは10歳、僕はティケはそこの宿の息子だと思っていたが、彼は実は丁稚、つまり口減らしのためにアンナプルナの外院のどこかの村から働きに来ていた。休みに田舎に帰って母親に会いたいと、いつも言っていた。母里に帰るといっても新幹線などの近代的な乗り物で帰郷するのではなく、小さな生身のその足で険しい山道を何日も歩いて、ひとりで帰るのだから何か感慨深いものがあった。

 

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英単語1つ覚えた!

 

高尾山や関西で言う六甲山など、その辺の山に登る許可は要らないが、ヒマラヤともなると許可が要りパーミットを取らなくてはならない。観光が唯一の産業だしその金額も安くない。パーミットの発行している事務所はシーズンともなると長蛇の列だ。並んでいると、外人にMが何かを聞かれた・・・・見たいな事を聞かれ・・・キュー???キューってなんだ?? そのとき中学、高校と6年間英語を勉強したが、まったくと言ってできなかった。what cue? と聞き返したらキューは列とジェスチャーで返してくれた。しかし、列はLineではないのか??とおかしなことを言うやつだとその時思った。あとで分かったことなんだがイギリス英語でそれが列と言う意味なのが・・・・兎に角英語はまったく駄目であった。英語が話せないことでそれから何かと悔しい思いをするのであった。