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長期旅行 ネパール 編

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味わったことの無い達成感と感動

外に出ると光と影のギャプが激しすぎるせいなのか、信じられない空の青さに出会った。

日の光が雪に反射して眩しい。

BCまでそんなに時間は掛からないが山の天気は変わりやすいのでいつものルーティングを変えて早い時間にアンナプルナのBCを目指した。途中、また、頭痛を感じてきた・・・ここに着て高山病か!?と思ったが少し下山してまた登ると言うことを何度か繰り返した後、頭痛は何処かに消えた。

そのうちに約5日の日数を要して富士山頂より高い海抜4000mのBCに到達した。

絶景であった!!

今まで目標を決めてこれといって、やり遂げたことが無い僕にとって感じたことの無い達成感と充実感!!このほんの小さなミッションだが、僕の中で確実に少し何かが変えられたと感じ、来て良かったとも思った。

空気の薄さがそうさせるのか、深い空の青さが宇宙を感じる! 360度パノラマの壮な景色と海底だったが何年も掛かって隆起したその場所に立っている、その素晴らしさを感動せずにはいられなかった。  この素晴らしい景色を大脳新皮質に蓄えられるのは登ったものだけが得られる特権なのだ。 そして、登山家の気持ちが少し分かったような気がした。 ベースキャンプで一服して天候が変わらないうちに下山しはじめた。案の定、下山の途中霧が掛かってきた。霧が晴れるまで足元を確かめながらゆっくりと降りた。  登山は登るよりも下るほうが普段使わないインナーマッスルを使いより疲れたり、足を痛めたりするようだ。 毎日の高低差のあるトレックキング足腰も若干強くなり、柔軟にもなっていたが、無事に下山できるようにより慎重に歩くようにした。 ここでの怪我は大事になるのだから・・・・

 

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タトパニ! タトパニ! タトパニ! 

 

同じ道を帰るのは詰まらなかったので、外院のゴレパニをぬけ、タトパニまで行って、温泉に浸かってポカラに戻ることにした。 途中、キムロンという谷にある宿で一泊する。 意外と小奇麗で客は僕と友人M、とそしてアメリカ人の女だった。彼女は自転車でアジアを一人で旅行していた。 タフだ!そもそも、僕の場合は寂しいから連れを説得して同行してもらったから来ている。 人通りが多い内院のルートだって一人だったら少し細い。 しかも、今の時代に山賊が出て身包みをはがされる事件がここヒマラヤの山道ではオフシーズンには横行しているということを聞いていたので、この人通りの少ないこのショートカッのトレイルを一人で歩くのは自殺行為に値する!、一人では絶対に来なかっただろ言うと思った。 驚いたことに、この宿ではホットシャワーが浴びられる。予期せぬ事態にお得感を覚えた。 そのホットシャワーのシステムが画期的で 京都風に言うと、「おくどうさん」、大阪で言う「へっついさん」 つまり、釜戸的な中に鉄のパイプが走っていて、その先には水を入れたドラム缶が置いてあり、反対の先は風呂場に通じてあった。 釜戸に火があるときは、いつでも熱いシャワーを訪れた客に提供できる。 長い間、シャワーにありつけていなかったせいもあったのか、「なんと素晴らしいサービスなんだろう」と涙まではしなかったが、豪く感動を覚えた。 シャワールームは1つだけで宿泊客の3人が同じタイミングで入ることはできなかった。 我先にと浴びたかったが、ここはレディファーストであのタフなアメリカ女に先を譲った。 普通、男はシャワーなんて10分もあればことは足りるが女はそうは行かない。 日も暮れて、気温がどんどん下がる。彼女が出てきたときは30分近くが経っていた。頭を洗ってやがる! なるほど時間を要するのは当たり前だ!次に僕・・・友人Mは先に譲ってくれた。 基本、Mは2週間ぐらい風呂に入らなくても大丈夫な路上生活者やエスキモー、モンゴル民族的な体質で、ある意味強靭な精神の持ち主だ! しかし、僕もゆっくり厚いお湯のシャワーを楽しみたかったが、それは遠慮して10分も立たない内にシャワーを終えた。 久々に入る風呂は身も心もリフレッシュでき明日への活力の一つとなりそうだ。これで夜も気持ち良く寝れそうだ。 最後にMが入る・・・・入って2分も立たない内トタンの壁をたたく音と同時に怒号にも似た大きな声が聞こえていた。  「おーい!おーい!タトパニ!タトパニ!」どうしたんだとシャワーの前からMに聞くと石鹸だらけの頭と半身を出しシャワルームから出て「湯がでないと・・・・」 タトパニはネパール語でお湯だ!暗闇の中、何度もタトパニ!ディノス(ください)と震えながら訴えた。これが俗に言うタトパニ事件だ!!!それを見て、笑ってはいけないと思いながらも、この娯楽の少ない山では大声で笑わずにはいられなかった。 あのドラムカンの中の水は一ミリも残っていない。タフなアメリカ女が悪いのではない・・・・しかし、彼女は長い髪を洗い、殆ど使い果たしたのは明らかだ!Mは濡れた体を拭いて適当な鍋でお湯を沸かしてもらいたあと頭を流して万事休す・・・次の朝、朝起きたら、アメリカ女は暗いうちに出発していて、あのパワフルなオーラにまみれた姿を二度と見ることは無かった。タフすぎる、あいうタイプは嫁や彼女にすることは敬遠したいものだと心に思った。・・・・・そして、幸いMは風邪も引かず、僕らはいつものようにチャイを何杯か飲んで9時前にゴレパニへと向かった。すこし、早い出勤であった・・・・・

 

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心肺機能の優れた小さな案内人

 

抜け道に入ってから臀部の中心部、つまりケツの穴が何か違和感を感じていた。少し気にしながらも次の目的地を目指した。 獣道のような道に惑わされ・・・真のルートが分からなくなった。 遭難してしまうのか?? チョコレートは持参しているが・・ 仮に遭難しても3,4日は持つ! 問題は水だ! ヒマラヤでは川の水は綺麗にみえても生活排水と交わっていて飲めば必ず肝炎になってしまう。 たとえ、その水を煮沸しても、高度が高い為に80度ぐらいで沸点に到達するようなので、すべての雑菌を殺生することは不可能であると言うことを途中で出会った日本人夫婦に聞いた。 それからは、日本から持参した塩素を沸かしてもらったお湯にいれて飲料水として飲んでいた。しかし、塩素はあるが、このあたりは川は見当たらない・・・・・なんて少しだけ最悪の事態が頭をよぎった時、もうすでにどの道がゴレパニに行くのかわからなくなった。内院は凄い数のトレッカーやクライマーが行きかっていて、道に迷うことはまずありえないが抜け道になるとその数は格段に減り「ハーロー」と言う挨拶も滅多にすることはなくなっていた。 迷っている間10歳ぐらいの兄妹に出会った。これで一応、遭難は間逃れると思ったが、彼らはしつこく甘いものを要求してきた。 煩わしかったので遭難したときのために持ってきたチョコレートをあげながら、いいアイデアを思いついた。 この子達はここの地元民、ジモラーだ。金をあげて案内させようタラパニまで行くんだが20ルーピーをあげるから案内してと・・・・勿論、二つ返事だ!こちらの要求を伝えてから返答までの時間は0.2秒!ほとんど考えない条件反射で快諾してくれた。 僕らは軽装備だがリュックの重さは約7キロはある。 子供たちは荷物無しでおまけに体も軽い、息も切れないで、どんどん先に上ってい。「くそ!」荷物が無かったらこんなガキには負けないのに・・・・子供らは先に行っては僕たちを待つ、そして、やっとたどり着いたら又、登り出す、を何度か繰り返すうち「荷物を持ってあげる」と言った。 僕は心の中で・・・お前たちとって7キロは重く乗りかかり思うように登れんぞ!その覚悟があるのだな!!あとで吠え面かくでないぞ!小童どもめが!!と思った。少年少女持って見やがれ!!そしてそれぞれにリュックを渡した。そして軽々背負って登りだした。期待とは裏腹に小童どもは荷物をもたないときと同じペースで登っていく。 強靭な足腰、心配能力の持ち主だろうと驚愕した。 恐るべし、山の民!!!それ以降も、彼たちを背にすること無く、彼たちの背中を見続けて次の宿まで後を追いかけてた。

 

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やっとの思いで小さな案内人に遅れて次のポイントに到着した。 そこの宿には小さな男の兄弟がいた。兄は元気な普通の子だが、弟は松葉杖無しでは歩けない。 しかし、杖を突いていてもすばしっこい。運動センス抜群である。 もしこの子が健常者なら何かの競技でオリンピックに出られたかもしれないと思ったくらいだ。 しかし、健常者であってもオリンピックなどに出場することは無い。 オリンピックがあると言うとさえも知らないで日々をすごしている。 世の中には自分の潜在的な能力を知らずにすごしている人が大勢いるのだ。ものすごい足の速い農夫、ものすごい歌の上手いヤノマミ族の若者、野球センスのあるエスキモーなどきっといるはずだ。生まれ持ったその能力に長けた人は努力の上でその成功を収める場合が多い、がそれだけではない。そんなに努力しないでもなれる人もいると思う。生まれ持った環境もそのチャンスを広げていく、野球を小さいころからできるチャンスがあったとか、音楽ができるチャンスとか、その成功の背景にはラッキーがある。しかし、それを悟る人は少ない、全部実力と!!豪語する! 頭の良い人間もいるが、そうでない人間もいる。身体能力に長けて生まれてきた人もいれば、そうでない人もいる。 それだけでもスタートラインが違ってくる。 ラッキーな人生において、驕り高ぶってはいけないと思う。勿論、自信を持つことは大事なことだが、謙虚に受け止め幸運だったことに感謝する方が良いと今はしみじみ思う。 そうあの足の不自由な子らのようにチャンスという間口は限りなく狭い。 ネパールは世界でも10番以内に入る貧乏国だ。それにカーストが邪魔をして才能があって頑張っても上には上がれない。教育も満足に受けられない。 他と比べるのはあまり良いことではないが、僕たちは恵まれた国で育っていると再認識した。 外国に出ると客観的に日本や自分が見れる。 そして気づかなかったすべての当たり前と感じている物を気づかせられ、そして感謝できるのである。 すばしっこくて青洟が鼻の下で固まっている笑顔の可愛い松葉杖ボーイは僕に懐いた。そしてなるべくその汚い部分を避けながら、遊んでやった。 兄の方も見知らぬ外国人と親交を深めたいようであったが、兄の立場からなんとなく遠慮しているように感じた。 元気な子供はすなわちそこの労働力なのだ。 ここでは寝転んでお菓子を食ってテレビ見ながらゲームなんてできないのだ。 学校にも行かず親の仕事を手伝い日々を終える・・・・・世の中は不平等なのもだとつくづく思った。しかし、どんな人生であっても必ず人は死ぬ!と言うことだけ平等に与えられたものなのだ。 次の朝宿を出ようとした時、その兄弟の兄が僕に英語で言った・・・・「sleep one more もう一晩泊まって!」・・・「ノー・ゴー・ゴレパニ・ソーリー」・・僕は返答した。 兄は 「See you next time」僕は「シーユーネクストタイム!そして、その宿を後にした・・・・ 未だにあの言葉対して応えられてはいない・・・・

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