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長期旅行 インド編 バラナシはベナレスとも言う

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ゲストハウスドミは男女混合で・・・

 

宿には日本人も何人か居て、大抵は長期滞在者だ。 友人たちは4階の個室に泊まっていたが、僕は部屋が無かったのでドミトリーのベッドを借りることにした。 普通ドミトリーでは男子と女子は別れているのだが、このゲストハウスは男女混合であった。白人は羞恥心の感覚が我々とは違い、女子でも寝袋に裸でもぐりこんで寝ていた。 最ビス精神旺盛かどうか知らないが、朝には肌蹴てその胸をご披露してくれ、まったくその点は気にしては居ない。滞在者の多くは白人であったが、彼らはいつもインド人に対してモラルや考えの違いで激しく主張をし、怒り揉めていた。 其の気持ちも分からないではないが、キレ易く、黄色人である僕らよりも遥かに早い。 ここでクイックテンパーとい言う英単語を覚えたほどだ。  それにしゃがんで用が足せない、生活様式、習慣の違いでトイレを汚す西洋人も少なくなかった。 勿論、水でケツは絶対に洗えない。 その話をするだけで彼らの多くは吐いてしまうのだ。 そのころには、持病時の再発を恐れと郷に入れば郷に従えの精神で、僕は水でケツを洗えるようになっていた。 ロッジの屯している日本人たちは毎日、1階の食堂で賭けポーカーを楽しんでいた。 賭けのレートはインドにおいて最小の硬貨一円にも満たない1パイサを掛けていた。負けても惜しくないが、勝ってもさほど嬉しくはない。友人Mは体調が会った時よりも悪く、昼なのに薄手の毛布をストール代わりにしていた・・・・

 

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薬は何でもあります

 

はじめてインドの話を聞いたのは20歳ぐらいの頃で、同時にマリファナに対してその以前から異常に興味を抱いていた。 なぜなら有名なロッカーたちの影響だった。 自分の五感が鋭くなり自分の能力以上に発揮できる何か崇高なものだと!・・・ ケミカルなものは別の連れが覚せい剤を愛好していたので、その怖さもと泥沼に落ちるプロセスを学習していた。だからマリファナ以外ケシから生成されるケミカルドラッグの類は全く自分の興味の対象ではなかった。 マリファナはタバコよりも依存性は少ないと自分でもそう思っていた。 マリファナは色んな場所で宗教的な行事にも使れたり、そういったものは人の気持ちの起伏を大きく揺さぶりより喜怒哀楽を感じることのできる酒となんら変わりない人生をより良く楽しむのに手助けをする一つのアイテムだと思っていた。 ここバラナシでもその辺でマリファナをはじめハシシやケミカルドラッグが簡単に手に入るし、おまけにバング饅頭、ケーキ・・バングはマリファナでラッシー入れて食することができる。吸引において、その即効性はあるのだが、効いている時間は短い。 それに比べて食するほうはその即効性はないものの持続時間は遥かにそれよりの長いのだ。 ここインドでは社会に適応できなくなる恐れのある快楽が安価で簡単に手に入れられる。インドはアメリカのようにたくさんの州があり、その州によって、法律も異なる。マリファナもその一つで、ある州では合法で政府公認の店でシンガポールでは死刑になりかねないその嗜好品が買えるのだ。 外国人旅行者の多くはジャンキーと言うかその愛好家である。 起き抜けからキメているやつは、体力の限界まで挑戦している、中には朝からハシシを吸いながらバングケーキを2個食べて、LSDを舐める・・・・・・もう人間崩壊の道を辿っているように思えた。 ここでは人間を放棄すること、つまり廃人になることは難しくない。 なぜならオピュウム(アヘン)も簡単に手に入るのだ。旅行者同士仲良くなると一服タイムに誘われて自分で買わなくても、日本では非合法なそのクサを楽しめるのだ。

 

Mは40度の高熱におかされていた!

 

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友人Cが降りてきてMが大変だと言ってきた。 聞けば40度の高熱に一晩中、魘されていたようだ。Mはいつも用意周到と言うか神経質と言うか、ドラえもんのポケットまでとは言わないが、多種対応できる旅行グッズをリユックの中に忍ばせていた。だから体温計までも持参していたのだ! タイとは違い毎回のインド食は日本人、我々にとって辛い。健康な僕でさえ食欲と食べる量は激減していた。 彼はここ2日、まともに飯を食べていなくてバナナヨーグルトしか口にしていない、体調の優れないときにインド食であるカレーはキツイのである。 普通でもインドではどんな人でも痩せていく。 太っている知り合いにや友人にはこのインドダイエット(長期旅行)を勧めているぐいらいだ! 彼はすでにネパールからしてみると5、6キロはやせる。 彼ら部屋に行ってみると彼は起きやがれる余力はあった。彼は病院に行きたいと言ったので宿のスタッフに病院の場所を聞いて、オートリキシャを捕まえて3人で向かった。 着いた病院は日本人が思う共通認識のそれではなく、病院らしからぬ雰囲気だった。 ふらふらのMを連れて診察室に入るとここでも医者らしかぬ白衣も来ていない威厳のありそうで偉そうな人が高そうな机に座っている。  取り巻きが2人居て一見すると、それはまるで悪徳ペルシャ絨毯屋の取締役の雰囲気を醸し出していたのだ。 「ここはアユルベーダーの病院です」と言い、その社長ぽい人の前に彼を座らせるとおもむろにMの手を取り、脈を測りだした。 「何だそれ?アユルなんとか・・・・」、そして2分ぐらい後、医者は「Malaria・・・」と病名を告げて、処方箋を書きMに渡した。 アユルベーダーは古くからのインドの医学で今ではデトックスやハーブなども有名であるが、当時は訳の分からない近代西洋医学とはかけ離れた診療方法を受け入れることは僕も含め彼には容易ではなかった。 「それで終わり・・・・???」誰もが思った・・・・・足元もおぼつかないMは意識が朦朧の中、「こんなもん・・・信用できるか?!!レントゲン撮れ!血を採れ!採ってくれ・・・・」 力の無い声を振り絞ってそう訴えた。 彼の言った其のフレーズが何か韻を風で居り、僕の笑い壺に入ってしまって思わず吹き出してしてしまった。 これが緊張と緩和だ・・・・・・「何、笑てんねん!!」 Mはうつろな生気の無い目で睨みつけた。 「ゴメン・・・・・」

そりゃそうだ、当事者はこんな発展途上の外国で40度の熱が下がらないし、ふらふらで死への恐怖が払拭できず、寛容さも冷静さもその許容範囲を超えていた状態であったはずだ。 「ちゃんとした病院に行ぐぅ・・・」、「ちゃんとしたところで見てもらおう!」彼の意向で病院のはしごだ!またオートリキシャを病院の前で止めて、病院へ行く。 次に行ったのはミッション系の病院でつまり壁にでっかい十字架をサインがあるような病院だ。「Xれいはあるんかぁ?血を抜いてくれ!!!」 病院は彼の要望に応えられる病院であった。 しかし、結果はすぐには出ない。又この病院に後日来なければならない。医者いわく問診した限りでは其の症状はマラリアだと言う・・・・マラリアの症状の一つとしてその菌が体の中で大量に増える時間帯があるらしい。彼の場合はそれが夜でまともには寝れなくて辛い時間帯だったようだ。しかたなく、最初に行ったアユルベーダーで貰った処方箋で抗生物質を買って結果の聞くまでは凌ぐことにした。しかし、恐るべしアユルベーダー!脈を量るだけでその病名を当てるなんて・・・いや病名を突き止めるなんて。この古代から受け継がれた医学や学問、知識に対して敬意に払ってしまうのだった。

 

 紙一重

 

宿のスタッフに彼の病名を伝えたが大した反応は無く、まるでマラリアが風邪の一種かの様なリアクションであった。それだけマラリアは日常的な病気なんだと実感したのだった。治ったとしても、その病原菌は体内に永遠に居続ける謂わばキャリアになるらしい。 マラリアの潜伏機関は1週間から10日・・・と言うことはネパールで感染してしまったことになる。 同じ部屋にいたのに彼だけが感染し僕らは助かったと言うことは彼には悪いがラッキーだったのだ。 別に引け目と言うものは感じて彼をケアしたわけではないが、彼の部屋に毎日食事を運んだのだった。 マラリアにかかると厳しい食事制限もあるようだ。バナナ、ヨーグルト ミルク ポーチドエッグのみであった。 4階の部屋に食べ物を置いておくと忽然と消えてなくなるのだ。 霊現象などではなく、街ありながら野良猿が人間と共存し、人間の食べ物などを日々狙っているのである。したがって毎回持って行かなければMは餓死してしまう。

毎回と言っても一日一食で見る見るうちにやせ細っていた。 あまりにもキツイようでアヘンにも手を出しかけたが、それは断固として阻止した・・・・・

 

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