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長期旅行 南インド編 

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ひたすら南下する

話は脱線したが・・・・時間を潰すひとつの方法は映画だ!列車に乗り込む前に映画で時間を潰した。列車に乗ってコーチンに付いたのはまだ夜明け前だったと記憶している。暗いうちからゲストハウスを探して見つけたのは良かったのだが,そこは決して清潔な外人が泊まるようなところではなくインド人しか泊まらないようなところであった。インドの生活に少し慣れた僕でも一瞬戸惑ってしまう場所であった。

コーチンはジャングルにある運河をクルーズすのが有名だったが、長くインドにいると何もかも面倒になってしまって結局乗らずじまいであった。タカカリダンスを見に行って道で知り合ったインド人に金の無心をされチャイを奢らされた。勿論、金は貸さなかったが・・・・心を開くとどんどんその隙間に入り込んでくる・・・インド旅行は毎日気が抜けないのである。

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やはりビーチが好きです

兎に角、海でのんびり過ごしたいと思って、トリバンドラムの近く旅行者の誰もが勧めてくれたコバナムビーチを目指すことにした。列車とバスを乗り継いでリゾートへ、ここのビーチはゴアよりも波は高かったが、綺麗でリゾートするぞ!と言う雰囲気にさせてくれた。ビーチにはたくさんの旅行者が戯れ思い思いにリゾートを楽しんでいるようだった。レストランに行けば自然に日本では非合法な嗜好品が回ってくる。

一番は海鮮が食べられることが嬉しかった。インドでは旅行者は同じ時期に同じようなルートを回るのでよく前にあった旅行者に合う。ひとりはデリーで同じ宿に泊まっていた日本人のボーイッシュなお姉さんだった。あとは密造酒を一緒に運んだあの太鼓のドイツ人だった。 ひとりの日本人とコバナムで知り合った。彼の会話なかである人物が気になった。その人の話をすると僕の中でイメージできる人物と一致したのだ。そしてその人物の名前を聞いてみると正に僕が知る人と合致したのだった。偶然と言うか、世間は狭いというか、結局同じ穴のムジナなのかと思った。

 

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不潔なブルースマン

 

ここでも意外と日本人旅行者は多かった。僕がギターを独りで弾いていた時に声を掛けてきた人が居た。神戸から来ていた人が居てネパールで足を腐らしたあのヨコカワと同じように足を倍に膨れさせていた。 彼はもう2週間ここから動けないで居るのだった。彼はギターを持って来ずにボトルネックだけ持ってきている横着ものだ。誰かに借りて弾けばいいと言っていた・・・・究極に退屈だったのであろう彼にギターを貸すと陶酔しマディ・ウォーターズが憑依したかのように弾き始めた。そして15分が過ぎ弾きながら近況を語りだした。「足のせいで2週間、宿に缶詰で風呂にも入ってないんや!ほんで、抗生剤を飲んでいるんやけどが、薬がきついせいででウンコがでない、あまり溜まっていたから指でほじくり出したんや!まいったよ!!」・・・・おい!その指で僕のギターを弾いているのか!!これが関西人の正直でデリカシーのないところだ!ちょっとその不潔な指で弾かんといてください!!」・・・・「石鹸で洗ったから・・・・大丈夫!!」・・・

インドに居ることはこんなことさえもどうでも良くなってくる・・・・まぁ良いか・・・・・・

 

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最南端へ

そして、カーニャクマリに向かった。クマリまでバスで4時間ぐらいだったか忘れたが、着いて宿にチェックインしてすぐに旅の友のギターのブリッジがまるごと外れた。こんな早くそしてこんな形で壊れるなんて・・・やはりインド製は粗悪であるが、そのときあのうんこの指で弾かれたからだと、しばらくあの神戸のブルースマンのせいにした。そしてお気に入りの海パンをコバナムに忘れてきていることに気がついた。考えた挙句、海パンを4時間かけて取りに行く方がいい、この先気の聞いた新しい海パンを手に入れることはインドでは無理だ!クマリとコバナム往復したとしても海パンのほうが高い!!バスを待っている間2人の子供がこっちをちらちらと見てきた、僕に対してスーパー関心があるようだ。距離を少しずつつめてきた・・・・・そしてハローも言わずに「what your name?」 この無礼者!!と思ったが,これがインドなんだ・・・僕はにっこり笑って自分の名前を告げると笑われるという予想通りのリアクションが帰ってきた。そして4時間かけて夕方に戻った。お気に入りの海パンはしっかり物干しのロープに掛かったままであった。帰りのバスはもう無かったので、ボーイッシュのねーちゃんの部屋に泊まらせてもらい次の朝壊れたギターが待つクマリの戻った。

 

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カーニャクマリの漁村で

 

カーニャクマリはインド最南端の猟師町で海にヒンズーの寺院がありインド人にとっての観光地で聖地でもある。しかし南インドは大航海時代の影響でキリスト教徒の数も少なくは無い。したがってここには教会でなどがあり少しインドと違った風景が見られる。たいして寺院を見ても時間を潰すだけの感覚になっていて何処の寺院を見ても退屈なだけなので、漁村を散策することにした。昼間は人が活動している気配が感じられずひたすら静まり帰っていた。港に上げられた船にもたれて海をボーっと眺めてたそがれているとインド人の癖に忍者のごとく僕の横に忍び寄ってきていていきなりそこそこのテンッションで声を掛けてきた。「Where are you from?」僕は思わず「わぁ!」と声を上げてしまった。びびらすんじゃねぇ爺!と数秒間、心の中で連続で唱えてから同じぐらいのテンッションでジャパニーとヒンズー語で答えた。それからその爺さんはインド語と英語で色々質問してきたが、あまり理解できない・・・不毛な会話が続いたが彼はどうやら僕を彼の家に招待したいらしい。悪人には見えなかったし、猟師の生活にを見てみたくなり彼の言葉に甘えることにした。

 

そんな申し出は・・・・・マジ??

 

家に入ると爺さんは飯を食わせてやると昼食を済ました僕に言ってきた。断るのは何か悪いような気がしたのでご馳走になることにした。見るからに貧祖な鰯のカレーと冷えたグレードの低いご飯だった。スパイスも少なく超が付くほど薄味で京都人もびっくりな味だった。つまり不味い、カレーはここでは特別旨いと感じたこともなかったし特別不味いと感じたことも無かったが、この振舞われた代物は今まで食べたこのとのない壮絶で想像を絶する不味さであった・・・・スパイスが少ない、味が薄い、その意味は収入が僅かだと物語っているのだった。月収を聴いてみるとその爺さんは2歳になる孫娘を抱きなが答えた。確かな金額は忘れてしまったは五千ほどだったと記憶している。そんな見るからに貧しいのに関わらず、僕のためにジュースを婆さんに買いに行かせて馳走してくれたのだった。旨そうに食べなければ気を悪くする・・・・オスカー級の笑顔で気を使いながら美味しそうにその不味いカレーを常温の生ぬるいジュースで流し込んだ。 爺さんはその孫娘と写真を撮ってくれ、そして後で送ってきてくれと言ってきた・・・・お安い御用だ!その頃、代わり映えのしないカテゴリー、つまり被写体に飽きてきたところだった。 写真を撮り終えて住所を聞いて書きとめているときに爺さんは「お前・・・・この娘と・・・結婚しろ!」と言うではないか!! まだ二歳なのに!!爺さんの眼差しは冗談のそれではなく、円陣を組んで監督の言うことを聴いている高校球児のキラキラとしたそれと同じだった。考えてみれば一つの可能性に掛けたのかもしれない。この漁村に居ても今以上に幸せは望めない、この外国の兄ちゃんがうんと言えばその可能性は広がるのではないかと真剣に思ったのであろう。がしかし、僕の倫理観と夫婦としての機能を果たすまで15年ぐらいは待たないといけない。 それまでは子供として養っていかなければならない。大人になって自分のタイプの人になる保障はない、子供のときは可愛かったが大人になって伸び悩む例は数々ある・・・・ そのあいだ他の女に靡く可能性を孕んでいる・・・・リスクはある・・・・と断りの返事を返す何秒かの間でそう思った。 カレーと無理をして買った希望の星であった生温いジュースをご馳走したのも関わらず、その希望は叶えられずにそのキラキラとした眼差しは見る見るうちにどんよりと曇って絶望にも似た悲しげな顔に変わっていった。焼き増しせずに送ってしまって知らないうちにネガが無くなってしまい記念の写真を残すことができなくて残念であるが、忘れることのできない思い出となったのだった。

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