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せやかて.COM

せやかて、ブログ、書いてみたかってんもん

ミュージシャンとして6

Daveちゃんの回顧録

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大阪で得た新しい音楽の仕事

アメリカ長期旅行から帰ってきて、デビューを目指して上京したのは僕はもう29歳になる歳だった。上京したものも、仕事としての音楽は皆無であった。ハコバン的な仕事もやる気はなかった。それは東京の音楽業界ではカースト制度のように、二流という仕事から入ると上にはいけないらしい。

音楽業界が確立というか分別されているらしかった。本当はどうか、試さなかったので真実はわかあらないのが・・・・・それに目指すは、自分の曲で勝負することだった。ルックス的には自信はゼロ・・・しかし、曲作りには自信があった。

しばらくして大阪でスタジオ経営をしている音楽仲間が仕事をくれた。それはある音楽データーを製作する仕事だった。彼の上に下請けがひとつありそこかの仕事だった。つまり僕がする仕事の間に下請けが2つあり、元受から勘定すると僕は3番目の下請けだった。

時代と共に進化したカラオケ

まだコンピューターが一家に一台と言う時代ではなかったが、通信は飛躍的発達しつつあった。既存の手段ではなく通信手段の発達て仕事の形態も変わりつつあった。カラオケのソフトもその形態を変えていった。

カラオケが世に出始めたころはカラオケボックスではなく主にスナックや居酒屋に置かれ再生には8トラと言うで大きなカセットテープで専用のプレイヤーで使用されていた。そのテープには歌なしのオケがそれぞれの楽器、パートごとに生で録音されいた。

今のように音程を変えることなどできない原曲のキーで歌わなくてはならなかった。そういう録音の仕事をする所謂二流と呼ばれるミュージシャンもいた。表舞台に立つことがないミュージシャンは僕も含めて二流だ。そのなかでもW氏のように実際には一流のプレイが出来る人たちは大勢いた。

そして、カラオケは8トラやカセットテープからレーザーディスクと姿を変え通信とシンセサイザーの発達でカラオケのソフトはインターネットを使いデーターでやり取りできるようになった。打ち込みでやる仕事はコストパホーマンスに優れている。今まではパートごとにプレイヤーを雇い録音し、ミスをすれば録り直し、時間にロスが出る。だから一流と言われるスタジオミュージシャンのギャラは人気のキャバ嬢ぐらいの時給で支払われるのだ。仕事は必要な機材(音源モジュール)などが送られてきて、そのあとはカセットに録音された曲が送られてきた。そのテープとパートごとにコピーしていかなければならない。最大に出せる音の数のリミットがあったので、厳密に言えば完コピはしなくても良かった。しかし、最低5、6パートは音を拾っていかなければいけなかった。ピアノなどの鍵盤は比較的OKだが、弦楽器つまりギターのバッキングを打ち込むのはかなり大変だ。基本的にピアノとギターのコードヴォイシングが違うので普通に鳴らせば雰囲気が違うし、ギターの場合コードを鳴らすときすべての弦が同じタイミングで鳴っていないから、それぞれの弦は少しずつタイミングをずらして打ち込まないとクオリティーは上がらないのだ。そのクオリティーで買い取られる値段が決まっていく。それぞれの楽器の音量のバランス、ミキシングなどもその対象だった。基本的に譜面を作ったりするのは苦手だったので、始めに鍵盤でコードをコピーしてドラム、ベース、メロなどを重ねていく、ざっくりと作った後は細かいエディトをしていく、ドラムのアクセントでノリをだし、ベースはゲートタイム、つまり音符の長さが大事でノリがでたり、そうでなかったりする。できあがったら。後はミキシングで終わり、僕は仕事が早いほうでなかったので、1日12時間ぐらいの作業で大体1曲につき2,3日の時間を費やした。

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勿論、選り好みはできないので、得意な曲もあり不得意な曲もあったが、作業時間が長かった。演歌などの楽曲を取り組むときが自分のセンスの中にその演歌の要素がしみこむのが少し不安であった。 それも証拠に無意識に港十三番地を鼻歌交じりで奏でていたことがあった。ハッとして、美空ひばりが体からにじみでているのに少し戸惑った。

部屋に閉じこもり朝から夜までの作業はかなりの数のタバコの本数をふやした。 今はタバコを吸うことを挫折してしまったが、あの当時、作業中、タバコを点けているにもかかわらずまた一本!てな感じでチェーンスモークしていた。だから普通のタバコは高くつくので、わかばという銘柄を一日3箱を消費していた。自分自身の新曲も同時に製作していかなければ上京した意味が無いのでカラオケの仕事も月に6,7曲だったのでスポーツはおろか外にも出ない日があり不健康そのものだった。しかし今でも、カラオケに行くと自分が作った音楽データーで再生されている。しばらくその仕事をさせてもらったが、一番目の下請けの会社が飛んでなくなった。どこにでもある話だが、音楽仲間は不渡りを食らって身銭をきることになったようだ。僕らのようなその下請けも少し損害を蒙ったが支給された機材を貰うことで折り合いをつけた。

それがミュージシャンとしての仕事が事実上最後になった。

 

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