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長期旅行 インド編 最南端からマドラスまで

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なんだか疲れてきた

 

最南端からマドゥライ、チルチッパリ、ポンデチェリーを経由してバスでマドラスまで

もうこの頃になったら、どこの観光地を訪れたとしてもつまらなくなっていた。 やはり、長旅は疲れるし、どちらかと言うとビーチでのんびりした方が基本怠け者の自分の性格に合っているのかもしれないと思う。あのコバナムのビーチで並んで腰を下ろしているインド人を見ながらながらボケーとしているほうが・・・彼らは泳ぎもしないでこっそりとカメラを持ってスクープ写真を狙っているのだ。インドでは女の人はビキニを着て泳ぐ習慣は無い、サーリーを着ているとおなかはさらけ出していることの恥じらいは皆無であるが、素足を公衆の面前でさらけ出すという行為は公然わいせつ罪、陳列罪に値するほど、彼らには官能的なおいしい光景なのである。 おまけに白人たちはトップレスで日焼けを楽しむのだ!!そこをやつらは激写する!!それに気づいた白人女は写真を撮ったインド人に駆け寄りカメラを奪おうとするが、お宝を抱えたインド人はそう簡単には渡さない、そして追いかけっこをするのだった。それが日常のコバナムビーチであったのが懐かしい・・・・・

マドゥライに来てもうそんな風に思っていたのだった。ここの寺院は台形のシルエットで何メートルも高い建物になっていて少し前までテッペン登れたのだが相次ぐ転落事故で登れなくなってしまっていた。馬鹿な人間にとって高いところに登れないということは早くここから立ち去れという合図と感じ、一泊で次の町へとむかったのだった。

 

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物乞いの対して

 

インドに来てから徹底的に乞食に金を上げるのを自分なんかで公平を期すために拒否し続けていた。寺院を写真に収めているときに何の遠慮もなくフレームのなかに入って来て金を恵んでくれと言ってきたこの爺さんにも上げることはなかった。たまたまフォーカスは爺さんに合ってしまったが・・・・・

そしてそのあとひとりの少年が僕に満面の笑みで手製のスケートボードに乗って近寄ってきてお金を恵んできれと言ってきた。彼は12、13歳ぐらいだが普通のその年齢よりも背が小さい・・・・彼は両足が無いのだ。インドに来てからアウトオブカースト達の話を聴いた。彼らはどうあがいてもかっばっても今のポジションから抜け出ることはできない、それゆえより慈悲の恩恵をもらえる可能性があるから親はわが子の手足を赤ちゃんの頃に切断してしまうことがあると・・・・・その少年を見たときその話が脳裏を過ぎったのだった。

そして、無理に金を上げる理由を考えた・・・・素晴らしい笑顔はひとつ芸だ!とこじつけて僅かな金を上げたのだ。そのあと何か自分の気持ちの中で歯切れの悪いものがあった。恵んでやった感のような・・・・相手を見下しているという感覚に陥ってしまったのだ。 それからそのことについて考えて一つの答えを自分なりに導き出した。 世の中はすべて公平なんてありえない。ノンな事を考える行為こそが自分よがりのエゴなのではないかと・・・・現実を何のフィルターに通さず見て、心の思ゆくままでいいのではないかと・・・タバコを買うときに悩んだりしない、この店で買ったら、あの店で買わないと差別になるなんて誰であろうとも思わないたとえ共産主義の国の人間だって思わない。彼らアウトオブカーストはお金を貰うという一つの商売だ。 上げようと思うならそれで良し、上げないでもそれで良しなのだと・・・・・

それからそんな場面に遭遇しても心の重さはなくなっていったのだった。

 

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 お前の発音はおかしい?? 

 

チルチッパリの見所もやはり寺院だ。ロックフォートという巨大な石の上に立てられたヒンズー教のお寺にバスを利用する。アイホンがない時代は初めて行く場所は乗るのも下りるのも人に聴いて確認しなければならない。 当然のことながら降りる場所が分からないので隣に座った一見怖そうな老人に聞いてみた。アイ ウォント ゴー ツー ロックフォート、テル ミー ウェアー ゲッド オフ・・・・みたいなことを言った。

厳格そうな老人はしかめっ面で僕にWHAT?僕は「ロックフォート・・・・・」老人はもう一度聞いた・・・

「ロックフォート・・・」言ったあと、彼はヒンズー語でお前の発音は分からんと言っていたのか定かではないが怖い顔をしてして、びっくりするほどのインドアクセントのRを使って言い間違いを正すように僕に「ルロックフォルト」と言ってきた。僕はお前の発音も英語的には正確ではないか!と思いながら言い間違えを反省したごとく「ルロック・フォルト」と言うと、今のバス停だ!というではないか!!バスの運転手にストップと言って止まって貰い無事に降りることができた。あの爺!!教えてくれたのはあり難いが、インド英語をレクチャーする前に・・・・と思ったがこれがインドと思うことが癖になっていた。

 

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ポンデチェリーでは、白壁の家が立ち並ぶ南フランスの雰囲気でベトナム人の経営するフランスパンが食べられる店があると聞いた。兎に角、インド料理ではない食べ物を食べたくて探したのだが、結局見つけることができなくて南フランス風の町並みの中でカレーを食した。ポンデチェリーは偉い思想家が居て人人はそれを目当てに訪れているらしいが、これも全く興味が無いので一日でマドラスに行く・・・・

 

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マドラスにいたビジネスマン

 

マドラスに着いたのは夜遅く、コバナムからマドラスまでこれと言って出会いがなかった。少し寂しかったので旅行者がいてドミトリーで話ができる可能性があるサルベーションアーミーに泊まることにした。

サルベーションは外国人旅行者も居るがインド人のビジネスマンなども泊まっている。

インド人と話すときの第一のキーワードは宗教、第二は既婚かそうでないか、第三は仕事だった。彼らはどんな宗教に属しているかが最も重要であった。初めは自分自身無宗教と思っていたし、インド人にもそういっていたが、言うたびに一瞬、しかめっ面をされ、そして疑いの目でみらるれのだ。何らかの宗教に属さない人間の信用度はインドでは限りなく低いということの表れでもあるようだった。日本人にとって神道や仏教は密接であるのにもかかわらずどの宗教に属しているか意識することがあまり無いからであろう。それは今まで日本人は様々な宗教を寛容に受け入れてきたせいかもしれない。言い換えれば節操が無いということなのかもしれない。 

考えてみれば日本人の大体が死ぬときは仏教式の葬式をしていと予想される。多分自分も死ぬときはそうだろうとその時思ったし、仏教徒ではないと強く否定する必要も無いし、宗教をなぜ信じないかを説明するのも面倒だったので自分は仏教徒とインド人には言っていた。 サルベーションで会ったインド人はボンベイから来ていた。今まで出会ったインド人の殆どがヒンズー教徒であったが。そのインド人はヒンズー教徒ではないと豪語して無神論者だと言っていたのが衝撃的で珍しかった。所謂、神がいたら不条理な世の中にはならない!カーストなんて有得ないと・・・・しかし、僕は、それらを作ったのは神ではなく人間ではないか!と思ったが、口にはしなかった・・・・彼のその言いたい気持ちはよく分かる。 そのときは今と違って何か現実の今生きている世界を超えた別の精神世界があると信じていた。それが俗にいう神とか霊とかの類があると・・・・しかし神はこうあるべきという一般的な共通認識で神様像を作り出した故の結果であり、違う認識の神が居たとしたら不条理なことがある事に対して否めないのであるが、この世で起こることは勿論原因はあると思うのだが、オカルト的な前世の因果が今にきて応報されるようなものではなく、災いもラッキーの誰もが宝くじ的に孕んでいる。たまたま起こってしまうという理由付けが一番しっくりくる。どっちに転んでも今は安易に肯定するものたちを完全否定する派であるし、90パーセントはそういう世界が無いものだと思っている。いずれにせよ色んな人間がありそして考えがある。 強要されない限り、いろんな人と話すのは面白いのである。

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