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長期旅行 インド編 バラナシ ガンガー

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母なるガンガー

 

インド人の最高の幸せは人生を全うしガンガー、つまりガンジス河で死ぬことなのだ。彼らは死を身近に感じているのだろう。 ここバラナシでは死を待つ家がある。死期を悟った人やその家族がそこで最後を見届け、ガンガーの河岸で火葬され母なる河にその灰を撒かれ葬られる。 死を待つ家を利用する地方から来る人々にはかなりの出費で、勿論、貧乏人にはできないことなのだ。 金のある人は火葬に使う蒔きを十分に買えるが、そうでない人は少ない薪で火葬される。火葬場には何人かの職人が居り、火葬に関する仕事を全部引き受けている。 その行程の一つにその焼かれている亡骸を棒で容赦なくバンバンと砕いていくと言う仕事がある。 それはなるべく灰の状態にするためである。 殆ど灰になって流される亡骸もあるが、それ以外は肉片が残る生焼け状態で流される・・・それが中州にたどり着き野良犬の群れがそれを食する。不慮の事故にあったり自殺をしたりした所謂人生を全うできなかった人はそのまま流されるらい・・・・そしてその河で沐浴をし、生活の水として洗濯もしているのだ。生まれたときから死を意識する環境にいることは生への執着や感謝の念を抱くことは日本の環境よりも難しくないのではないかと思う。 

 

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神秘のインド・・・・?現実のインド・・・・

 

ガンガーでその焼かれていく光景を目の当たりにして、何百年も変わらないいわば原始的な社会の中で極めて自然な現実だけがあり毎日同じシーンの中では俗に言う神秘的なものは感じなかった。 若い頃は、この次元を超えたスピリチュアルな世界があると信じていた。 そしてすべてのものに対してその目に見えない世界が関係する何かの理由があり、そして出会うものはすべて必然性があると信じていた。 インドに来たことも何かに導かれてきたと・・・・・そして自分自身の存在理由もその当時、探していた。 しかし、今まで半世紀以上生きて来た経験の中で一つの悲しい答えを導き出してしまったのだ。 それは当時思ったことの真逆なのだと・・・たまたまと言う言葉を当てはめるとすべて辻褄が合うことに気づいてしまったのだ。だから今は死に対しての恐怖心は信仰心のある人よりも何十倍もある。

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僕にとっての宗教とは・・・・

 

僕は霊的な世界があって欲しいと本当は願っていているが、あまりにも多くの要因がそれを否定させてしまうのだ。 インドでは仏教はヒンズー教の一部だと考えている人は多いようで、僕らが親しみのある仏教と違って灰になった亡骸をカンガーに流すので墓が無い。 日本では墓を持たないことや、死んだ人を供養しないことは、その家に不幸をもたらしたり、悪いことが起きる可能性があり、そして子孫繁栄を妨げる行為だと戒めを刷り込まれるのだ。 なぜ墓もいるし仏壇も持たなければならないのか?宗派を変えると駄目なのか? これはすべて仏教ビジネスにつがる手法なのではないかと思うのだ。 これらはすべて寺のシノギなのではないか! その戒めつまりその恐怖心を植え付けて檀家をつなぎとめる方法なのではないかと・・・ 仏教伝来と共に爆発的に流行ったビジネスで顧客の取り合いでできたシステムではないかと思うのである。人にとって信仰は死への恐怖心を軽減させるのに必要なものだと思うが、あまりにもその根拠が無いことに対して当たり前的な感覚がマカリ通っているのに懸念を抱いてしまう。 たとえば霊能者と呼ばれるものだ。昔、あるテレビ番組を見ていて、「なぜ、その交差点で頻繁に事故が起きるのか?」に対して・・・・・霊能者は「そこで無くなった子供霊がいたずらをして又事故を起しているのだ」とか・・・・それを聞いたと事故を起した霊の遺族の気持ちを考えたことがあるのだろうか? 彼らはずっとその霊がした行為に苦しまなければならない。 こういう輩は無責任に根拠の無いことをあたかも事実であると人の心の中に潜り込みそして洗脳していく。 だから供養してあげると・・・・・僕も以前は霊の世界の存在を肯定していて、ある霊能者にお布施をして相談をしていたことがある。 霊能者の言葉を鵜呑みして受け売りで他人に説いたこともあった。そしてある日、霊能者いわく、阪神大震災のときに淡路島でなぜ被害があったのかと言うと淡路の人間は性格が悪いそうだ・・・未曾有の事故に巻き込まれる人はや早くになくなってしまう人は何かそういう理由があるのか? 何の落ち度もない人が事故や事件に巻き込まれてしまうのはそんなアホな理由があるのか。僕が若い頃過ごした大好きな神戸や関わった人たちがダメージを受けているのに関わらず、心無い言葉を聞いて目が覚めたのだった。 死に至る直接の原因は勿論あるが、目に見えない因果応報的なことで当然のごとく処理をされるのは理解できないのである。 僕から見れば 「たまたま」 なのだ。 訳の分からないそんな理由、因果など無く、その確立が低い場面にたまたま出くわしてしまうだけなのだ。 すべての人は「自分は大丈夫!」と思っているがその低い確率に出くわしてしまう可能性を持っている。 そこに宗教者や霊能者はそこをうまく利用して来るのだ。 目に見えるものが全てではないと・・・・・現実の体は今は借り物で本質は死んだ後の世界のある!  しかし実際は生前、借り物だったその灰は一部しか墓に入れるだけですべて入れる訳ではない。後はどこかにまとめられて廃棄されるのに墓がないと魂は成仏しないとか子孫の反映は見込めないと・・・・宗教家は言う・・・どこかおかしくないか?その矛盾を解決するように「目に見える世界が全てじゃないという」・・・そこはやつらにとっての最後の砦なのだと考えてしまう。 人間には共通のモラル観が必要で、宗教とは時の権力者が上手くそれを利用し人々統率するのに使った道具の一つだと今は理解している。 だから僕は救われないのだ・・・・・

 

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 行きつけのチャイやにて(煮て!!)

 

毎日ガンガーの土手でチャイを飲みながらゆっくりとした時間とシンクロしている河の流れを感じていた。 当初、バラナシに来た限りは沐浴し、そしてこの大河を泳いで見たいと思っていたが、いざ来てみればかなりの勇気がいるのだ。 河の水の色は茶色でところどころ緑がかり、女たちは洗濯をし、石鹸の泡がぷくぷくで、そして知らない人の灰を次々と流している・・・・・おまけに気温は低いし、河イルカが泳いでいる。 イルカと言ってもあの可愛らしいイルカではなく混濁した河に順応したためにその目は退化して申し訳ない程度に付いており、目としての機能はしなくて、より多く魚を捕獲できるようにくちばしが長くギザギザの歯があるイルカが何匹も泳いでいるのだ!!怖い!兎に角怖い!!こんなところでは呑気に泳いでられない。 だからガンガーを見てチャイを飲むだけで由としたのだった。 行きつけの土手にあるチャイ屋は12.3歳ぐらいの少年が切り盛りしていた。 その日、僕が行ってチャイを頼んだら 少年は「NO water wait!」と言ってトントントンとバケツを持って下に降りていった・・・・嫌な予感がした・・・まさかガンガーのあの緑がかった死体の石鹸のエキスが浸み込んだ水か!!! その嫌な予感は的中したのだ。もう何度もここで飲んでしまった。事実を知ったからといって、安いそのチャイのオーダーを取り下げることはできない! そして歯を食いしばり、「煮沸したし・・・・・もうすでに何杯か飲んでるし・・・・・煮沸したし・・・・・大丈夫だ!!」と何度も自分に言い聞かせて納得させてそのチャイを飲みきったのだった。