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長期旅行 インド編 アジャンタ エローラ ボンベイ

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また一人の旅が始まる・・・

犬に噛まれたS氏はパキスタンをめざし、体調が戻った僕はギターを持ってアウランガバードへ鉄道でアジャンタを目指してた。勿論、時間通りには行かず、かなり遅れてアウランガバードに到着した。その日は遅かったので食事にもありつけなかったが、ユースホステルに泊まることができた。.朝起きると体調が又悪い、恐らく完全に治らないうちに出てきたので熱がぶり返したのだろう、丸2日寝込んでしまった。デリーのときは相部屋でS氏ともう一人日本人の女性がいたので心強かったが、ここは一人、心細いものである。薬も買いに行けず、少しの食べ物と水だけで凌いだのである。

 

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体調が戻ってアジャンタへ 

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バスに揺られること3時間、出発時間が遅かったのでアジャンタの閉門まであと数時間、割とあわてて見なければいけない。ここは高松塚古墳の壁画の元になったモチーフがあり仏教石窟寺院だ。来る前にラジオの番組で語り手が神秘にとんだ内容でアジャンタの話を語った、一生に1回は行かないといけない場所だとマインドコントロールされてしまっていた。 勇み足で中に入り石窟を見てまわり、そのモチーフを見つけてカメラを取って写真に収めたとたんに警備員に呼べ止められた。「ここでは写真を撮ってはいけない」と言われた。「大事になるのか?」と思いながら別室に連れて行かれた・・・別室には偉そうな館長のような人がいて「撮影禁止の看板を見ていなかったのか?!」と咎められた。僕は知らなかったと素直に謝ったが、館長は「撮ったフィルムを没収する!」・・・ 募集されると今まで撮った写真までパアだ。僕はそれは勘弁してくださいと頼み込んだ。

そのやり取りが続き、館長は「君の仕事は何だ!!?」と言ってきた。僕は「Musicianです。」発音が悪かったのか、「Oh! Masician」 「違う!!手品師じゃない!!音楽家だ!歌とギターをしています!!!」言い直した。館長は理解を示し、僕に「だったら歌って見せろ!」とリクエストをしてきた。・・・なぜ歌わないといけないのだと思ったが、素直に要求に応じてこの事態を乗り切ろうと思った。「じゃ歌います!!」インドのアジャンタの別室で歌う羽目のなった・・・・自分の源氏名の元になったデイブ・クラーク・ファイブのビコーズを歌い終えると館長は歌が気に入ったのか、写真のことはすでにどうでも良いようだった。「今夜、家に遊びに来なさい!ご飯も食べられるし、家族のみんなは音楽が好きでギターもあるしドラムセットもある!!!」と、写真のことは一切触れずに興味の対象は僕が家に来るかどうかに変わっていた。その申し出は嬉しかったのだが、体調は万全ではない、デリーで買ったギターも荷物もアラウンガバードのYHに置きっぱなしなので、気持ちは行きたかったが、丁重にお断りした。

アジャンタは期待しすぎたのか、ちょっとしたアクシデントもあったのか思ったほど感動はなかった。それよりも嫌だったインド人のフレンドリーな一面を見れたことのほうが印象的であったのだった。そしてまた3時間掛けてアラウンガバードまで・・・・地平線に沈む夕日を見ながら・・・・・

そして翌日、エローラへ殆ど情報をいれずにエローラを訪れた。専門家ではない僕が言うのも何なんだが。その芸術性のクオリティーの高さに感動を覚えた。奥行きのある、高低差のある。今で言う3D的な感覚に陥り、何か心がそれによって癒されている感覚にも陥った。アジャンタに行った時は感じなかったが、アジャンタの石窟やエローラにおいても宗教の力は人の心を一途にさせ、一心不乱にさせる。日本にも仏教アートと呼ばれるものも多くあるが信心の為、そして修行をする為、一生を掛けてこのような遺跡を構築させる・・・・感慨深いものがあった。 

 

 

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ボンベイへ

昔のインドの町の名前や通りの名前、たとえばボンベイは今で言うムンバイ、カルカッタはコルカタなど英語の名前が殆どだった。ボンベイはインドでは2番目に大きい町らしい。 町はイギリス統治下の名残が強く、建物はヨーロッパ調で二階建てバスも走っている。 物価は他の地域よりも2倍近く高かったように記憶している。 食べ物は北インドよりもマイルドな感じで北でターリーと呼ばれる定食はここではボンベイミールスと言い方に変わるのだ。1、2種類カレーにヨーグルト、ご飯とローティで基本的に内容は同じであるように感じていた。ボンベイではサルベーションアーミーに泊まることにした謂わばYMCAのような感じのところだ。ドミトリーで朝飯はついていたがパンとバナナだけであった。この朝飯と物価の高さで3日持たないで違う場所に移動したので、実際2階建てのバスにも乗らなかった。そして、思いもよらないトラブルに遭うことになったジャンキーの聖地で新年を迎えようとゴアに向かったのだった.

 

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