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長期旅行  インド編 パトナーからブッダガヤ

 

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文化の違いを感じて・・・

 

パトナーはあくまでもブッダガヤに行く為のトランジットポイントだった。それほど興味は無かったが、これと言ってすることもないので軽く町を散策した。そして、マイダン広場に行た時、文化の違いを垣間見た。 やはりここインドはイギリスに統治されていたので、ポピュラーなスポーツは日本のように野球では無くクリケットなのだ。大きな広場に平日にもかかわらず何組もクリケットを楽しんでいる。 ルールは全く知らないが、クリケットもバットとボールさえあればサッカー同様に気軽にやれそうなスポーツだ。  外国人に対して興味津々なのだろうか、インドではいろんな人に声を掛けられる。 よく言われたのは「How do you like India? 」だった。 自分たちの国の印象を聞きたいようだった。 僕ははじめ其の使い方や意味がわからなかったので、likeをいているのってだから好きか、どうか、聞いているのだろうと思い、あほな顔して「I like India.」と答えていた。 チャイを飲みに行くと一人の男がいて、少し、話をしようとガンガン話をしてこられた。親切に僕にチャイを奢ってくれオマケにタバコもくれた。しかし、僕の拙い英語では十分なコミュニケーションはできない。異国の人の情報に興味心身であった彼の期待には応えることは決してできなかっただろう。しかし、次の日も呼び止められて同じようチャイを奢ってもらった。少し、インド人に対して良い印象をもった。そして、そう言った出会いの中で自分自身、英語を話すことのある意味恐怖心は薄れていったのだった。 ネパールでは西洋人に話しかけられても言ってる英語が理解できなくて何回も同じ質問を聞き直さなければならなかったと言う経験をした。 そして、挙句の果て、相手に「forget about it」や 「He doesn't speak English」 などと言われる次第で、もどかしい思いをしたのだった。 しかし、ここでは一人でなんとか英語を話してやっていかなければならない、少しずつではあったが、英語の良い練習にはなっていった。

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 バック!バック!バックじゃ!

 

モラル感や文化の違うの途上国で何かをするのは兎に角大変で何事もスムーズに行かないのだ。 ブッダガヤー行きの列車のチケットを買うのも一苦労だった。 僕が駅に行った時、、駅には大勢の人が地べたに寝たり 座って待っていたりしており、チケットカウンターの前にはすでに人の長い列ができていた。 すんなり切符は買えない・・・

そして最後尾に行き並んだ。20分ぐらい待たないといけないと思った瞬間、前では横は入りする人が一人、そして一人・・・ちゃんと僕の後ろに並ぶ人もいたが、又一人と言う具合にどんどん抜かされて前の列に入られる・・・・20分が過ぎてももまだ切符は買えない。 そして30分・・また一人二人、これじゃ埒が明かない。 あのインド人にたいして良い印象は自分の頭の仲から一人、そして一人、抜かされるたびに脳裏から消されていった。「ここはモラルも文化も違う異国だ!」怒ってはいけないと心では思っていたが、まん前で横は入りをされた時、僕の中のアドレナリンの量がピークに達し、爆発したのだった。そして、大阪弁と日本語英語で唸ってしまった。「こらぁぁぁ!お前!横入りすんな!ボケ!バック に並ばんかい!バックじゃ!バック!」 その横は入りのインド人はきょとんとした顔で僕にこう返した・・・・「Why are you angry with me? 」・・・・・・・・・・・・・・「ホワイ アングリー? 何でか、わからんのか!?ボケ!ノー ヒアー バック言ったらバックにゴーじゃ!ゴーバックじゃ!」と言いているうちに横は入りしたインド人は切符を買える番が来て、そそくさと買っているではないか・・・・・疲る・・・・・ホントに疲れる・・・・・

インドではこんなことが日常茶飯事で、毎日が馬鹿馬鹿しい戦いなのである。

 

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乏しいコミュニケーションツール

 

列車の切符は買えたが、指定ではない、列車も駅の構内同様、人がいっぱいだ。 網棚にも人が荷物のように陣取っている、座る席はなしで2時間立ちっぱなしてガヤーまで行かなければならない。ここでもいろんな人にこれを掛けられる、インド人は外国人をほっとけないのだ。Where are you from? このフレーズは何度も使われているのですぐに答えられるぞ!! ジャパン!!言うまでも無く、言葉は毎日反復によって少しづつ覚えて良くのである。 しかし ボキャブラリーに乏しく、今では簡単な言葉にたいおうできなかった。Who is japanese prim minister? ・・・・ i dont know.・・・・プライムミニスター?セブンスターなら知っているが、新しいタバコの銘柄なのか? そんな中学生以下の程度だった。

個人といえども外国に出れば、その態度や振る舞いは日本を代表することになる。つまり其の振る舞いで其の国の人間の性格や価値が決められることが多い、おそらく僕は日本人の名誉を傷つけてしまったかも分からない・・・・・英語を話せることが頭が良く、人としての能力の高さを表しているとは決して思わないが少なくともコミュニケーションツールとしては有効なものだ。勿論、其の国の言葉を覚えるのも大事で礼儀をわきまえた姿勢であると確信している。 インドには勿論インド自体の言葉がいくつもあるが、その体系は地域によって全く異なるのである。 北インド(ヒンドゥ語)の人と南インド(ターミナドゥ語)が話すときは英語でコミュニケートすることが多いようだ。 第二国語で多くの人、つまりカーストが上の人は話すことができるので英語はとても便利なのだ。

 

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謎のトゥー・スイーツ!!

 

ガヤの駅から目指すブッタガヤまではバス乗らなければならない。乗り場まで歩いていく途中インドのお菓子やに立ち寄ってみた。和菓子、洋菓子はあるが、ここでは印菓子というかケーキの様なものを食べてみた。口に入れた瞬間、その甘さが広がるスピードは音速を超え、高濃度の甘さが口の中を覆い尽くした。どう作ればこんなに甘くなるのだ!謎だ! それを口に運ぶたび、気絶しそうになった・・・・・貧乏性と日本人気質のせいか、残すことはできない、最後まで食べないとこの店の人に悪い・・・・何度も意識が飛びそうになったが食べきった・・・・ しかし、二度とこのカロリー300パーセントのお菓子は口にしないとこの仏教の聖地で誓った。 そのあと、ブッタガヤ行きのバスに乗れたが座席は外にある補助席、つまり屋根の上だ。ネパールの山とは違いここは曲がりなりにも街中、道には電線が建っている、電線がすれ違うたびに首吊り防止で頭を下げなければならなかった。こんなところで吊るし首はゴメンである・・・・

 

長期旅行 インド偏 ダージリン ~ パトナー

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お洒落なダージリン

 

朝、YHの窓からカンチェンジュンカが鮮やかに臨むことができた。 長閑でインド人の避暑地でもあるダージリンは紅茶が有名だがインド象とターバンのイメージは全く無く、チベット民族の影響が色濃くネパールの延長線上にある場所に思えた。ショッキングだったのはエレファントマンの映画で見た像皮病の人を何人か見かけた。 日本ではライ病患者も目にすることは無かったが、この事実は遠い昔の話ではなくて、ここではオンタイムの問題なのだと複雑な気持ちにさせられた。

流石、大英帝国!世界を侵略した証しの名残であろう・・・・町の雰囲気は洋館などあり何処か少しお洒落な感じでヨーロッパも感じさせるのもがある。町の中をおもちゃの電車が走っている、おもちゃと言ってもミニSLでちゃんと人が乗れるのが、トイトレインと呼ばれている・・・・ あのカトマンズからダージリンの移動で食べる量は極端に減ってしまったが、時間が来るとそれでも腹は減るのである。 本来食欲の無いときには熱いうどんなどが良いが、ここでは100パーセント望めない。 食べるものはインド料理とチベット料理などで、日本人にはありがたい焼きそばやギョーザのモモが食べることができる。しかし、味は結構いけるのだが、羊の肉や油を使っているせいなのか、少し臭いが気になって100パーセント美味しく食べられなかった。

 

最後の望みタイガーヒル

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ここダージリンは肉眼でエベレストを見る最後のチャンスがある、それはタイガーヒルである。 それも運が良くて見れるチャンスがあっても朝の時間帯でほんの少しの時間らしい。ツアーを予約して5時に起き、まだ暗い、早い朝はとても寒く上着無しではやり過ごせない。YHにあった毛布に包まってジープに乗り込っんだ。空が明るくなって来てカンチェンジュンガは綺麗に見えてきたのだが世界一の山の周辺はガスで何も見えない、エベレストの周辺は悪天候のようだ・・・しばらく待った。ガイドは今日は見えないと言ったので、肉眼でエベレストを見るという目的だったが、気持ちを切り替えて縁が無かったのだとあきらめた。3,4日の滞在で僕は仏教に聖地ブッダガヤーを目指すことにした。

 

別れのとき

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色んな情報も教えて貰い、大変お世話になったミスターバックパッカーのKさんと最後に食事して、お礼を言って別れた。 また、どこかで出会えたらと思ったが、連絡先も主義ではないと言い、とうとう教えてくれなかった。連絡先を交換したところで連絡を取り合うことは無いのだから最初から聞かないほうが良いと言った。僕はクールな人だなと思ったが、後になって彼の言っていた事は的を射ており、二度と会うことのない人と何日間を過ごしたと言う事のほうが何かしら、かけがえの時間に思え、思い出はより深い心に刻まれるのではないかと思った。そして、その偶然の出会いを感謝できるのではないかと大袈裟に感じるのである。 

ブッタガヤーに行くにはとりあえずスルグリからパトナーへバスで移動してから鉄道でブッタガヤーと言う交通手段を選択した。貧乏旅行は常に安い交通手段を使わなくてはいけない、なぜなら、浮かした金でより長く滞在するためだ。 発展途上の国はやはりバスと鉄道の移動は安くつくが、時間が掛かりすぎる事が難点だ。  しかし、その分、より出会いや色んな体験も期待できるのだと思っている。 一人の旅行は英語力やコミュニケーション力が必要とされるが、最初の内はそれに乏しく、インド人だらけの中で緊張し、積極さもなく ひたすら受身で出会いをこちらから求める余裕など無かった。 兎に角、騙されずに、トラブルにならないように目的地にたどり着くことが精一杯であった。 そして、長い時間を掛けてバスを乗り継いで、やっとパトナーについたのは夕方を過ぎていた。 まだバックパッカーとしては初心者だった為、到着した時間から安宿を探すスキル、意欲と体力は果てていたのだった。

 

 

湯船のあるホテルで疲れを取る!

 

兎に角、熱い風呂に入りたい、ふかふかのベッドで寝たい気持ちが勝ってしまって貧乏旅行にはあるまじき行為をしてしまった。 その当時、平均的なゲストハウスの値段は40~60ルピーに対して素泊まりで250ルピーのホテルに泊まってしまったのだ。といっても中級クラスの下のホテルなのだが・・・・   チェックインをすまして、湯船に湯をためようとした・・・・湯船の中に普通あるハズの栓が見当たらない・・・これじゃ湯を張れないではないか。 フロントに行ってそれを伝えたが「この部屋には風呂の栓がないのです・・・と言うか、全室ございません・・・・」と・・・・250も払ったのに・・・・・ここは異国の地、僅かな金で安易に怒ってトラブルになっても面倒だ! OK・・わかりました・・・・部屋に帰り熱いシャワーで辛抱だ! と裸になってシャワーをひねると水が出てきた。 普通は熱くなるまでは少し時間差はあるのだ・・・・ここは腐ってもゲストハウスの約5倍の値段のホテルだ、待てば熱いお湯が飛び出てくるはずだ! 少し待とうと自分自身に言い聞かせた・・・・・・・・・・が、ずーと同じだ、つまり18度ぐらいの冷たい水が肌寒くそして栓のない風呂の中に注ぎ込まれてただ下水の中に消えて行くだけなのだ! 限界だ!250ルピーのホテルにホットシャワーがないなんて!!フロントに行って今度はキレながらガチガチのカタカナ英語と流暢な大阪弁で文句を言った。「マイ・ルーム・ノー・ホット・オーター!ええがげんにせぇ!湯ださんかい!ワレ!」、 フロントはボイラーが故障しているから、少し待ってくれとのこと・・・・部屋の床に亀裂が入るぐらい部屋で20分も貧乏ゆすりをして待っていたら、部屋の前でノックの音が・・・・ドアを開けてみると従業員がバケツ2つにお湯を入れて持って来た。 ボイラー直していなかったのか!! これじゃトレッキングと変わりないじゃないか!!!しかし、もう文句を言う余力は残っていなくて、仕方なく辛抱することにした。 インドは諦めさせ上手なのだ・・・それは後になるほど実感するのであった。 

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長期旅行 インド偏

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バスでカトマンズからダージリン

単独での旅はこれが始めて、友人MとCと別れて、バラナシーで再び会う約束をした。 今までは旅行慣れしているMに頼っていたが、とりあえずバラナシーまでなんとか一人でたどり着かなければならない。 一人旅という響きは心地よかったが、一人の不安を払拭できないままダージリン行きのバスに飛び乗った。 しかし、これからが大変だった。バスは無論、定員オーバーだった。ギュウギュウ詰めのバスの中は快適とは決して言えない。 座席はなんとか確保できたが、何時間この状態が我慢できるか不安で一杯だ。 案の定、市内を出たとたん、デコボコの道で乗り心地はUSJのアトラクションそのものだ。 おまけに大音量でインド音楽を流してお香をたいている。この類のアトラクションはUSJにもディズニーランドのも無い。 少し長いが、名前をつけるなら「国境越えデンジャラス・日本では絶対に車検が取らないバス・ライド」だ!!座席から自分の臀部が離れるのが分かるぐらい何度もジャンプをするのだ。10回に1回は5センチから7センチは座席とケツの隙間を作っていたのだから、おちおちと寝ては入られない。もしも、この旅で命を落とすなら、バスに乗っているときが一番確率が高いと確信した。 夜が深まるにつれて気温はどんどん下がっていくし、砂埃の量も尋常じゃないぐらい窓から入ってくる。寒さと埃で窓を閉めようと思っても窓にガラスが入ってない。 道中で入れるだけどんどん乗客が乗ってくる。途中で何度か休憩があったが、店員オーバーの車中は降りたくても降りれない。乗り込むときに水を買い忘れた。のどが渇く、短いバスの休憩中に降りれないから窓から熱いチャイを頼む、素焼きの器に入れたチャイの量では喉を閏わすには少なすぎる・・・炭酸系が飲みたい・・・冷たいコーラーが飲みたい・・・・腹は空く・・・晩飯は食ってない・・・・休憩でサモサを窓から買う・・・中身はジューシーさとは程遠いスパイスの効いたジャガイモだ、水無しでは飲み込めない、モサモサするからサモサのかと薄らぐ意識の中で考た・・・・なわけ無いだろうと、一人で薄ら笑い・・・水が欲しい・・・冷たい・・・清潔なミネラルが入っている水が・・・・口の中は埃のせいでジャリジャリいっている・・・・水が欲しい・・・・眠気で目が開けていられない・・・眠りに入る・・・・・10回に1回のジャンプで頭を打つ・・・目が覚める・・・・これが噂に聞いていた悪夢なのか!?しかし、最後はジャンプも大音量のあの音楽も気にせず眠っていた。

 

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ミュージシャンとして6

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大阪で得た新しい音楽の仕事

アメリカ長期旅行から帰ってきて、デビューを目指して上京したのは僕はもう29歳になる歳だった。上京したものも、仕事としての音楽は皆無であった。ハコバン的な仕事もやる気はなかった。それは東京の音楽業界ではカースト制度のように、二流という仕事から入ると上にはいけないらしい。

音楽業界が確立というか分別されているらしかった。本当はどうか、試さなかったので真実はわかあらないのが・・・・・それに目指すは、自分の曲で勝負することだった。ルックス的には自信はゼロ・・・しかし、曲作りには自信があった。

しばらくして大阪でスタジオ経営をしている音楽仲間が仕事をくれた。それはある音楽データーを製作する仕事だった。彼の上に下請けがひとつありそこかの仕事だった。つまり僕がする仕事の間に下請けが2つあり、元受から勘定すると僕は3番目の下請けだった。

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長期旅行 ネパール 編

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レベルの多少低い、異異文化コミュニケーション

 

旅の醍醐味と言えば、僕の場合異文化交流が一番に掲げ上げられる。チャンドラコトットでの夜はこのトレッキングの旅で楽しい出来事のひとつであった。 もう彼の名前は忘れてしまったが、小学校の学校の先生と僕らは異文化交流を行った。Mは僕よりの旅慣れをしていたので、英語もそこそこ話せるが、僕も小学校の先生もキスナーも英語はまともに話せない。しかし、身振り手振りで何とか伝えようとする努力とそれを何とか理解しようとする行為こそが、異文化交流の基本であると信じている。 つまり肯定から入ることは相手を理解するのには重要なことであるのだ。イルカや犬を食う文化を認めない人種の類はこれができない。自分たちの価値観だけを押し付ける、白人至上主義なのだ。 イルカは駄目でも牛は認める、人間は様々な動物の命を貰い生きているだ。日本人はその為にも「いただきます」と言う言葉を使い、命を貰って生きることやそれを提供してくれる人や作り手に感謝する崇高な民族であるのだ。 捕鯨猟をしている地域などでは鯨など供養する特別な場所まで設けている。 オーストラリアに牛の供養する場所はあるのか!?お声を大に出して言いたが、幾ら言ってもあいつらには伝わらない・・・なぜなら基本の思考が否定からのなので何を言っても変わらない。

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