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せやかて、ブログ、書いてみたかってんもん

海外生活でのストレス解消法

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リラクゼーションはサウナが一番だ。

 

京都にいたときもそうであったが、タイでの生活においてリラックスできるルーティングの一つとしてサウナが上げられる。 汗を流して冷たい水風呂に飛び込む快感はある意味アディクトになってしまったのかもしれない。ここタイの地でもこのサウナ依存になってしまっている人間は少なくない。つまりこんな常夏の国でもサウナの需要はあるということだ。ローカルにある大抵のサウナはマッサージがあり、ゆわずともスペシャルがある所謂、ソープランド的な場所でもある。サウナの料金は200バーツから250バーツぐらいで京都の銭湯にあるサウナより高くなる。対比して言えば日本のサウナ専門店と同じくらいの2000円から3000円の感覚である。何時間いても料金は同じで、店によって違いはあるが、冷たいお茶やジュース、フルーツ、タイの氷菓子などがサービスで殆どが食べ放題である。レストランが隣接しているところではサウナ内で料理が注文でき少し割高だが鍋や色んなタイ料理なども食べられるのである。これも店によって違うが女性の入店がOKと言う店もある。残念ながら裸ではではなく男性の場合は入浴用のトランクスが支給され。女性は上下の薄いパジャマ的な服が支給される。サウナには50度近くの湯船と水風呂があるが、お湯や水を被るのみで、女性は一切そこに入る事は許されていないようだ。聞けば生理が関係しているようだ。そこにきている客の多くは殆どは毎日ように来ている。 つまりサウナは金持ちの社交場でもあり金にまつわる会話をいつもしているようだ。タイ語が堪能であればコネクションを作るのにも有効な場所かもしれない。

 

バンケーに住んでいた時に通った一番お気に入りのサウナ

 

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BEST LAND SAUNA AND FITTNESS

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入ってすぐ更衣室があり出たら左にこぢんまりとしたジムがあります。右奥にスチームサウナあり手前に30人以上は入れるドライサウナありドライサウナの温度は温めだがスタッフが頻繁にヒーターに水をかけて温度お上げてくれる。水風呂は泳げるぐらいで温度もちょうどいい。その横に湯船があり温度は48度から50度ぐらい。清潔でスタッフのサービスは良い。チップは20バーツでOK。

 

料金190バーツ

喫煙あり

マッサージあり

女性OK

サービス5

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長期旅行 インド編 バラナシ ガンガー

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母なるガンガー

 

インド人の最高の幸せは人生を全うしガンガー、つまりガンジス河で死ぬことなのだ。彼らは死を身近に感じているのだろう。 ここバラナシでは死を待つ家がある。死期を悟った人やその家族がそこで最後を見届け、ガンガーの河岸で火葬され母なる河にその灰を撒かれ葬られる。 死を待つ家を利用する地方から来る人々にはかなりの出費で、勿論、貧乏人にはできないことなのだ。 金のある人は火葬に使う蒔きを十分に買えるが、そうでない人は少ない薪で火葬される。火葬場には何人かの職人が居り、火葬に関する仕事を全部引き受けている。 その行程の一つにその焼かれている亡骸を棒で容赦なくバンバンと砕いていくと言う仕事がある。 それはなるべく灰の状態にするためである。 殆ど灰になって流される亡骸もあるが、それ以外は肉片が残る生焼け状態で流される・・・それが中州にたどり着き野良犬の群れがそれを食する。不慮の事故にあったり自殺をしたりした所謂人生を全うできなかった人はそのまま流されるらい・・・・そしてその河で沐浴をし、生活の水として洗濯もしているのだ。生まれたときから死を意識する環境にいることは生への執着や感謝の念を抱くことは日本の環境よりも難しくないのではないかと思う。 

 

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神秘のインド・・・・?現実のインド・・・・

 

ガンガーでその焼かれていく光景を目の当たりにして、何百年も変わらないいわば原始的な社会の中で極めて自然な現実だけがあり毎日同じシーンの中では俗に言う神秘的なものは感じなかった。 若い頃は、この次元を超えたスピリチュアルな世界があると信じていた。 そしてすべてのものに対してその目に見えない世界が関係する何かの理由があり、そして出会うものはすべて必然性があると信じていた。 インドに来たことも何かに導かれてきたと・・・・・そして自分自身の存在理由もその当時、探していた。 しかし、今まで半世紀以上生きて来た経験の中で一つの悲しい答えを導き出してしまったのだ。 それは当時思ったことの真逆なのだと・・・たまたまと言う言葉を当てはめるとすべて辻褄が合うことに気づいてしまったのだ。だから今は死に対しての恐怖心は信仰心のある人よりも何十倍もある。

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僕にとっての宗教とは・・・・

 

僕は霊的な世界があって欲しいと本当は願っていているが、あまりにも多くの要因がそれを否定させてしまうのだ。 インドでは仏教はヒンズー教の一部だと考えている人は多いようで、僕らが親しみのある仏教と違って灰になった亡骸をカンガーに流すので墓が無い。 日本では墓を持たないことや、死んだ人を供養しないことは、その家に不幸をもたらしたり、悪いことが起きる可能性があり、そして子孫繁栄を妨げる行為だと戒めを刷り込まれるのだ。 なぜ墓もいるし仏壇も持たなければならないのか?宗派を変えると駄目なのか? これはすべて仏教ビジネスにつがる手法なのではないかと思うのだ。 これらはすべて寺のシノギなのではないか! その戒めつまりその恐怖心を植え付けて檀家をつなぎとめる方法なのではないかと・・・ 仏教伝来と共に爆発的に流行ったビジネスで顧客の取り合いでできたシステムではないかと思うのである。人にとって信仰は死への恐怖心を軽減させるのに必要なものだと思うが、あまりにもその根拠が無いことに対して当たり前的な感覚がマカリ通っているのに懸念を抱いてしまう。 たとえば霊能者と呼ばれるものだ。昔、あるテレビ番組を見ていて、「なぜ、その交差点で頻繁に事故が起きるのか?」に対して・・・・・霊能者は「そこで無くなった子供霊がいたずらをして又事故を起しているのだ」とか・・・・それを聞いたと事故を起した霊の遺族の気持ちを考えたことがあるのだろうか? 彼らはずっとその霊がした行為に苦しまなければならない。 こういう輩は無責任に根拠の無いことをあたかも事実であると人の心の中に潜り込みそして洗脳していく。 だから供養してあげると・・・・・僕も以前は霊の世界の存在を肯定していて、ある霊能者にお布施をして相談をしていたことがある。 霊能者の言葉を鵜呑みして受け売りで他人に説いたこともあった。そしてある日、霊能者いわく、阪神大震災のときに淡路島でなぜ被害があったのかと言うと淡路の人間は性格が悪いそうだ・・・未曾有の事故に巻き込まれる人はや早くになくなってしまう人は何かそういう理由があるのか? 何の落ち度もない人が事故や事件に巻き込まれてしまうのはそんなアホな理由があるのか。僕が若い頃過ごした大好きな神戸や関わった人たちがダメージを受けているのに関わらず、心無い言葉を聞いて目が覚めたのだった。 死に至る直接の原因は勿論あるが、目に見えない因果応報的なことで当然のごとく処理をされるのは理解できないのである。 僕から見れば 「たまたま」 なのだ。 訳の分からないそんな理由、因果など無く、その確立が低い場面にたまたま出くわしてしまうだけなのだ。 すべての人は「自分は大丈夫!」と思っているがその低い確率に出くわしてしまう可能性を持っている。 そこに宗教者や霊能者はそこをうまく利用して来るのだ。 目に見えるものが全てではないと・・・・・現実の体は今は借り物で本質は死んだ後の世界のある!  しかし実際は生前、借り物だったその灰は一部しか墓に入れるだけですべて入れる訳ではない。後はどこかにまとめられて廃棄されるのに墓がないと魂は成仏しないとか子孫の反映は見込めないと・・・・宗教家は言う・・・どこかおかしくないか?その矛盾を解決するように「目に見える世界が全てじゃないという」・・・そこはやつらにとっての最後の砦なのだと考えてしまう。 人間には共通のモラル観が必要で、宗教とは時の権力者が上手くそれを利用し人々統率するのに使った道具の一つだと今は理解している。 だから僕は救われないのだ・・・・・

 

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 行きつけのチャイやにて(煮て!!)

 

毎日ガンガーの土手でチャイを飲みながらゆっくりとした時間とシンクロしている河の流れを感じていた。 当初、バラナシに来た限りは沐浴し、そしてこの大河を泳いで見たいと思っていたが、いざ来てみればかなりの勇気がいるのだ。 河の水の色は茶色でところどころ緑がかり、女たちは洗濯をし、石鹸の泡がぷくぷくで、そして知らない人の灰を次々と流している・・・・・おまけに気温は低いし、河イルカが泳いでいる。 イルカと言ってもあの可愛らしいイルカではなく混濁した河に順応したためにその目は退化して申し訳ない程度に付いており、目としての機能はしなくて、より多く魚を捕獲できるようにくちばしが長くギザギザの歯があるイルカが何匹も泳いでいるのだ!!怖い!兎に角怖い!!こんなところでは呑気に泳いでられない。 だからガンガーを見てチャイを飲むだけで由としたのだった。 行きつけの土手にあるチャイ屋は12.3歳ぐらいの少年が切り盛りしていた。 その日、僕が行ってチャイを頼んだら 少年は「NO water wait!」と言ってトントントンとバケツを持って下に降りていった・・・・嫌な予感がした・・・まさかガンガーのあの緑がかった死体の石鹸のエキスが浸み込んだ水か!!! その嫌な予感は的中したのだ。もう何度もここで飲んでしまった。事実を知ったからといって、安いそのチャイのオーダーを取り下げることはできない! そして歯を食いしばり、「煮沸したし・・・・・もうすでに何杯か飲んでるし・・・・・煮沸したし・・・・・大丈夫だ!!」と何度も自分に言い聞かせて納得させてそのチャイを飲みきったのだった。

長期旅行 インド編 バラナシはベナレスとも言う

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ゲストハウスドミは男女混合で・・・

 

宿には日本人も何人か居て、大抵は長期滞在者だ。 友人たちは4階の個室に泊まっていたが、僕は部屋が無かったのでドミトリーのベッドを借りることにした。 普通ドミトリーでは男子と女子は別れているのだが、このゲストハウスは男女混合であった。白人は羞恥心の感覚が我々とは違い、女子でも寝袋に裸でもぐりこんで寝ていた。 最ビス精神旺盛かどうか知らないが、朝には肌蹴てその胸をご披露してくれ、まったくその点は気にしては居ない。滞在者の多くは白人であったが、彼らはいつもインド人に対してモラルや考えの違いで激しく主張をし、怒り揉めていた。 其の気持ちも分からないではないが、キレ易く、黄色人である僕らよりも遥かに早い。 ここでクイックテンパーとい言う英単語を覚えたほどだ。  それにしゃがんで用が足せない、生活様式、習慣の違いでトイレを汚す西洋人も少なくなかった。 勿論、水でケツは絶対に洗えない。 その話をするだけで彼らの多くは吐いてしまうのだ。 そのころには、持病時の再発を恐れと郷に入れば郷に従えの精神で、僕は水でケツを洗えるようになっていた。 ロッジの屯している日本人たちは毎日、1階の食堂で賭けポーカーを楽しんでいた。 賭けのレートはインドにおいて最小の硬貨一円にも満たない1パイサを掛けていた。負けても惜しくないが、勝ってもさほど嬉しくはない。友人Mは体調が会った時よりも悪く、昼なのに薄手の毛布をストール代わりにしていた・・・・

 

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薬は何でもあります

 

はじめてインドの話を聞いたのは20歳ぐらいの頃で、同時にマリファナに対してその以前から異常に興味を抱いていた。 なぜなら有名なロッカーたちの影響だった。 自分の五感が鋭くなり自分の能力以上に発揮できる何か崇高なものだと!・・・ ケミカルなものは別の連れが覚せい剤を愛好していたので、その怖さもと泥沼に落ちるプロセスを学習していた。だからマリファナ以外ケシから生成されるケミカルドラッグの類は全く自分の興味の対象ではなかった。 マリファナはタバコよりも依存性は少ないと自分でもそう思っていた。 マリファナは色んな場所で宗教的な行事にも使れたり、そういったものは人の気持ちの起伏を大きく揺さぶりより喜怒哀楽を感じることのできる酒となんら変わりない人生をより良く楽しむのに手助けをする一つのアイテムだと思っていた。 ここバラナシでもその辺でマリファナをはじめハシシやケミカルドラッグが簡単に手に入るし、おまけにバング饅頭、ケーキ・・バングはマリファナでラッシー入れて食することができる。吸引において、その即効性はあるのだが、効いている時間は短い。 それに比べて食するほうはその即効性はないものの持続時間は遥かにそれよりの長いのだ。 ここインドでは社会に適応できなくなる恐れのある快楽が安価で簡単に手に入れられる。インドはアメリカのようにたくさんの州があり、その州によって、法律も異なる。マリファナもその一つで、ある州では合法で政府公認の店でシンガポールでは死刑になりかねないその嗜好品が買えるのだ。 外国人旅行者の多くはジャンキーと言うかその愛好家である。 起き抜けからキメているやつは、体力の限界まで挑戦している、中には朝からハシシを吸いながらバングケーキを2個食べて、LSDを舐める・・・・・・もう人間崩壊の道を辿っているように思えた。 ここでは人間を放棄すること、つまり廃人になることは難しくない。 なぜならオピュウム(アヘン)も簡単に手に入るのだ。旅行者同士仲良くなると一服タイムに誘われて自分で買わなくても、日本では非合法なそのクサを楽しめるのだ。

 

Mは40度の高熱におかされていた!

 

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友人Cが降りてきてMが大変だと言ってきた。 聞けば40度の高熱に一晩中、魘されていたようだ。Mはいつも用意周到と言うか神経質と言うか、ドラえもんのポケットまでとは言わないが、多種対応できる旅行グッズをリユックの中に忍ばせていた。だから体温計までも持参していたのだ! タイとは違い毎回のインド食は日本人、我々にとって辛い。健康な僕でさえ食欲と食べる量は激減していた。 彼はここ2日、まともに飯を食べていなくてバナナヨーグルトしか口にしていない、体調の優れないときにインド食であるカレーはキツイのである。 普通でもインドではどんな人でも痩せていく。 太っている知り合いにや友人にはこのインドダイエット(長期旅行)を勧めているぐいらいだ! 彼はすでにネパールからしてみると5、6キロはやせる。 彼ら部屋に行ってみると彼は起きやがれる余力はあった。彼は病院に行きたいと言ったので宿のスタッフに病院の場所を聞いて、オートリキシャを捕まえて3人で向かった。 着いた病院は日本人が思う共通認識のそれではなく、病院らしからぬ雰囲気だった。 ふらふらのMを連れて診察室に入るとここでも医者らしかぬ白衣も来ていない威厳のありそうで偉そうな人が高そうな机に座っている。  取り巻きが2人居て一見すると、それはまるで悪徳ペルシャ絨毯屋の取締役の雰囲気を醸し出していたのだ。 「ここはアユルベーダーの病院です」と言い、その社長ぽい人の前に彼を座らせるとおもむろにMの手を取り、脈を測りだした。 「何だそれ?アユルなんとか・・・・」、そして2分ぐらい後、医者は「Malaria・・・」と病名を告げて、処方箋を書きMに渡した。 アユルベーダーは古くからのインドの医学で今ではデトックスやハーブなども有名であるが、当時は訳の分からない近代西洋医学とはかけ離れた診療方法を受け入れることは僕も含め彼には容易ではなかった。 「それで終わり・・・・???」誰もが思った・・・・・足元もおぼつかないMは意識が朦朧の中、「こんなもん・・・信用できるか?!!レントゲン撮れ!血を採れ!採ってくれ・・・・」 力の無い声を振り絞ってそう訴えた。 彼の言った其のフレーズが何か韻を風で居り、僕の笑い壺に入ってしまって思わず吹き出してしてしまった。 これが緊張と緩和だ・・・・・・「何、笑てんねん!!」 Mはうつろな生気の無い目で睨みつけた。 「ゴメン・・・・・」

そりゃそうだ、当事者はこんな発展途上の外国で40度の熱が下がらないし、ふらふらで死への恐怖が払拭できず、寛容さも冷静さもその許容範囲を超えていた状態であったはずだ。 「ちゃんとした病院に行ぐぅ・・・」、「ちゃんとしたところで見てもらおう!」彼の意向で病院のはしごだ!またオートリキシャを病院の前で止めて、病院へ行く。 次に行ったのはミッション系の病院でつまり壁にでっかい十字架をサインがあるような病院だ。「Xれいはあるんかぁ?血を抜いてくれ!!!」 病院は彼の要望に応えられる病院であった。 しかし、結果はすぐには出ない。又この病院に後日来なければならない。医者いわく問診した限りでは其の症状はマラリアだと言う・・・・マラリアの症状の一つとしてその菌が体の中で大量に増える時間帯があるらしい。彼の場合はそれが夜でまともには寝れなくて辛い時間帯だったようだ。しかたなく、最初に行ったアユルベーダーで貰った処方箋で抗生物質を買って結果の聞くまでは凌ぐことにした。しかし、恐るべしアユルベーダー!脈を量るだけでその病名を当てるなんて・・・いや病名を突き止めるなんて。この古代から受け継がれた医学や学問、知識に対して敬意に払ってしまうのだった。

 

 紙一重

 

宿のスタッフに彼の病名を伝えたが大した反応は無く、まるでマラリアが風邪の一種かの様なリアクションであった。それだけマラリアは日常的な病気なんだと実感したのだった。治ったとしても、その病原菌は体内に永遠に居続ける謂わばキャリアになるらしい。 マラリアの潜伏機関は1週間から10日・・・と言うことはネパールで感染してしまったことになる。 同じ部屋にいたのに彼だけが感染し僕らは助かったと言うことは彼には悪いがラッキーだったのだ。 別に引け目と言うものは感じて彼をケアしたわけではないが、彼の部屋に毎日食事を運んだのだった。 マラリアにかかると厳しい食事制限もあるようだ。バナナ、ヨーグルト ミルク ポーチドエッグのみであった。 4階の部屋に食べ物を置いておくと忽然と消えてなくなるのだ。 霊現象などではなく、街ありながら野良猿が人間と共存し、人間の食べ物などを日々狙っているのである。したがって毎回持って行かなければMは餓死してしまう。

毎回と言っても一日一食で見る見るうちにやせ細っていた。 あまりにもキツイようでアヘンにも手を出しかけたが、それは断固として阻止した・・・・・

 

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長期旅行 インド編 バラナシにて

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マスタル マスタル 乗りなさい!

 

インドでは手紙を郵便局やホテルなどで受け取ってくれるシステムがあり、行く場所行く場所でそれを受け取ることが可能だった。 友人たちは先にバラナシ入りしており、ガートの近くのホテルに預ける手筈になっていた。 ガートはガンジス川岸辺のことで町の中心地である。 迷路のような複雑な路地に渋谷ぐらいの人が居て、雨こそ降っていなったが夜になると映画のブレードランナーの街の雰囲気のようだと感じた。駅から出るとリキシャとオートリキシャがしつこく客引きをしている。 バックパックの外人を見つけて攻撃を仕掛けてきた。 つまり僕を強引に自分の車に乗せようとしてるのだ!「No!アイ ドント ニード」得意の日本語英語で応戦する。 中心地の手紙が置いてあるセントラルホテルまで歩けそうだったので、ぶらぶらと町の見学をしながら行こうと決めていたのだ。 ほとんどのリキシャは諦めて他の客を乗せに行ったのが、60歳くらいのリキシャの運転手、リキシャワラーがずっと後を追いかけてきた・・・「Master! Master! Please!」と何度も呪文のように後ろから声をかけてくる。    インド人のRの発音は舌を巻いて「ル」と発音する。それが基本的なインド訛りの英語だ。「マスタル マスタル プリーズ」・・・・・「しつこいなぁ!・・・」まだ付いて来る。 呪文は鳴り止まない・・・・・ふと道端の人だかりを見るとなにやら不思議と言うか得体の知れない物の実演販売をしている・・・そのリキッドを足に塗ると、白い煙が立ち上るのだ!なんだこれ!? と思った瞬間後ろで「Master! Master! Please」あの呪文だ。 まだ居る・・日本だったら絶対にあだ名は「すっぽんの何とかだ!」 こうなったらこちも意地だ! 絶対に乗ってやらない!!歩いて行ってやる!!・・・呪文が聞こえる・・ 無視しよう!! その方が良い!!まだ、付いて来る、クソ! 堪忍袋の緒が切れるぞ!ここは声を荒げてこの呪文が脳裏に焼きつくことを阻止せねばならない!!「NO!!!!ノーとゆうたら、ノー」と大きい声で言った瞬間数匹の犬に吼えられそして僕とリキシャを囲んだ。 気がついたらリキシャの座席に非難していた。 藤原信也のインド放浪を読んでバラナシの犬は怖いと認識していた。ここの犬はガンジス川に流された人間の肉を喰らっているし、噛まれれば狂犬病になる恐れもあるのだ。 そして犬が煩く吼えるリキシャの上で行き先のホテルを告げ、値段の交渉をした。リキシャの運転手は駅に行った時の同じ金額を言ってきた。「何?!!!まさに人の足元を見やがって!!」結構歩いて来ているではないか! 勿論、提示額を飲むことはしない。 ここで提示した金額を飲むとその生態系を変えてしまい外国人に対して物価の上昇を促すことになるのだ・・・・といっても5円とかの金額なのだが・・・・・交渉成立した後、ホテルの名前を再確認すると運転手は何度も首を横に振り「yes yes yes master!」と行った。 そしてリキシャは走り出した。そもそもリキシャは人力車のことで日本からの外来語らしい・・・

 

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ここは何処????

 

僕は土地勘が良く何処行っても東西南北の感覚を持っていて今までに酷く道を間違ったことはない。何か方向がおかしいと思っていた・・・・こちで良いのか?再々確認!ディス ウエイ OK?「yes yes yes master!」何度も首を横に振る。そして細い路地に入って運転手はホテルの看板を指差した!!名前が違う!!しかしリキシャはそのホテルだと言い張る!金はまだ払わん!ホテルの人に聞いて見なければ・・・・・・   ホテルに入るとオナーらしき人が居た。「あのぉ・・・・this hotel is central hotel ?」「Yes , but i changed the name a week ago」 一週間前までその名前だと言う・・・・「 is there any message for me?」 そして自分の名前も告げるとそのオナーは「from who?」僕は友人の名前も言うと「no masssege no letter, but i know the name.your friend stay in this hotel,」ホントか?友人MとCがいるのか? しかし、怪しすぎる手紙を実際に受け取らないと信用できない。そして、テーブルにあった宿帳を見せてくれと半分強引にぶん取ってみた・・・・・1週間前に彼らはここに来ているはずだが、2週間前までさかのぼって宿帳をチェックしたが彼らの名前は無い。 こいつらホテルもリキシャもグルだな・・・・・白々しく嘘をつきやがって! オナーはお得意の首を横に振り「 アイ ノウ ヨル(your) フレンド・・・」とずっと言ってる。 これは駄目だ! すっとぼけたオーナーに「ライヤー じゃ!!お前は!」と捨て台詞を吐いてホテルを出た。 リキシャたちは客の要望を無視して兎に角、バックマージンの入るホテル目指すのだ! リキシャを蹴りながらリキシャワラーに金を払い「嘘つくな!ボケ!」と言いて歩き始めた・・すると、あの呪文がまた聞こえてくるのだ。「マスタル マスタル where go?」  僕の怒りが通じていないのか? 彼は斜め後ろで絶妙な距離を保ち、僕の歩幅に合わせて漕ぐスピードを調節しながら乗れと言ってくる。 ハート強すぎ!鋼の心臓だ!!このぐらいしないとこの過酷な場所では生き残れない。クソ!・・・・逆に何か意地のような絶対目的地まで乗って行ってやる!という訳の分からない気持ちが沸いて来て、その数箇所穴が開いている綺麗とはいえない座席に陣取った。 「ジャナ ジャナ! ジャナ 行け!」と言った。 ワラーは嬉しそうにやる気満々の顔で自転車を漕ぎ出した・・・・・疲れる・・・・・

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手紙はここにあるのか?

セントラルの前まで来ることができた。彼は当然のように金を要求してきた。   「ノーじゃ!!」と一括! お前は嘘をついたのでこれ以上は払わない! 僕は当然のごとく払わない。「マスタル マスタル」・・・と拝んでくる・・・・「 ツーレイトじゃ!心を入れなおせ!まじめにやれ!!!」 僕の大阪弁が伝わったかどうかは知る由もないが、ワラーは悲しい眼差しを僕に投げかけていた・・・

そしてやっとの事でセントラルホテルの中で無事に手紙を受け取ることができた。外へ出た時に偶然にも友人Mにあった。カトマンズで別れて1週間ぶりに上手く会う事ができた。なんだかんだあった後の再会はなんとなく嬉しいものだった。 Mもなんとなく同じ気持ちだったに違いない。それも証拠にいつもよりもテンションが高かった。 彼は普段でもタバコの吸いすぎで咳をしているのだが、それがやけに多いし顔色も悪い、聞けばインドに入ってから食欲も無く、体調が優れないとの事。 インドと言えどもこの季節の寒暖の差は激しく、それに食べ物も合わないし、移動に疲れる。体調が崩れるのも致し方ない。兎に角、彼らが泊まっている宿に行くことにした。

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狭い路地にひしめき合ってガラクタのような物の中に店の親父が埋もれ同化している店や様々な店が立ち並んでおり、人も数もかなりのものだ。 タイのサンペン市場の感じだ。迷路のような複雑な路地を抜けていく。 途中には野良牛が行く手を阻んだりするのだ。其の牛の糞を乾かして燃料としている店もある。そして漸く、目指すゲストハウス、ロッジに到着し友人Cにも再会することができた。しかし、このときはあんな状況になるとは夢にも思わなかった・・・・

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長期旅行 インド 編 ブッダガヤ

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仏教の聖地

 

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バスから降りると客引きのような輩がたかってくる。初めは無視をしていたが一人のが僕に日本語で話しかけた。どうやら僕に世話をやきたがっているようだった。パトナーの駅であったこと以来インド人に対してガードが甘くなっていた。いわば心を開いてるような・・・・兎に角、異国の人と良い関係を築けたらと願っていたのも後押しいて、この得体の知らない日本語を話すインド人に世話を焼いてもらおうと冒険してみた。 彼は知り合いのゲストハウスを進めたが、なんとなくチベット寺院に泊まって見たかったので彼の申し出を断った。ここブッタガヤには勿論、安宿、ゲストハウスもあるが、チベット寺院でも宿泊できるシステムになっていた。寺院なので薄暗くチェベタンの坊主が居り、小さな子供の修行僧もいた。浅はかな僕はそこに泊まれることが偶然ではなく必然的で特別な事だと思い、この出会いにも疑いも無く感謝した。そう、僕はブッタに触れるために彼が悟ったとされる聖地である場所を訪れたのだった。 其の当時、表向きは無宗教を装っていたが、実際は何か宗教的なものやスピルチュアリなことも信じており、そしてそれに頼りたかったのだった。

 

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 もう聞くことはないカメラのフイルム

 

日本語を話すその男はインド人はリアジという。 彼は小さなお土産屋を営んでおり,日本人をはじめ外国人のためにガイドなどもしている。 日本製のものはどこへ行っても信用と人気がある、彼は日本製のフイルムが手に入れたいようで、僕に売ってくれないかと言ってきた。 今のようにデジタルカメラで数百枚の画像を簡単にストックできる訳ではなかったので旅に出る前に今では見なくなったフイルムを何本も買って出なければならなかった。 ひとりの旅ではスマートホーンと自撮り棒がないかぎり、記念の一枚を取る回数は僕の場合激減して行った。ここブッタガヤではリアジのガイドをしてもらってところで何枚か写真に収めることができたが現にパトナーでは一枚も写真を撮っていない。 おそらく買ったフイルムはあまると思い何本は彼に売ることにした。  少し損をしたが無料でガイドをしてくれたので差し引きはゼロと考えた。

 

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受け継がれていく仏陀の教え

 

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ブッタガヤには色んな寺院がある。日本寺もあり、日本的な大仏もある。勿論、日本人も多く訪れているので近くに法華クラブのホテルもあった。 日本寺以外の寺ではタイにある寺院同様、本物的な臨場感はなく、何処か釈迦自体がポップな漫画的で、何か其の重みがどうも感じられない。文化財的にも芸術的にも日本の方が厳かで何か近寄りがたくて威厳がありそして、価値のあるものだと感じていた。 有名な菩提樹の木の下では様々な国の仏教徒が瞑想している。色んな解釈や捉え方があるが、大昔の人間のその教えが今の現代にまで繁栄されているということは感慨深いものがある。ざっくり言うと凄さと尊敬の念を抱かざるおえないのだった。 僕も瞑想をしてみた。いくら聖地だと言えども、何のテーマを持たない僕は当然ながら何の答えも見出すことができなかった。浅はかで邪念の塊である人間がいくら瞑想して悟ることなどはできないのだと痛感したのだった。しかし、瞑想するのにテーマが必要なのかは疑問なのが・・・・・? 

 

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震える手・・・・

 

ブッダガヤに滞在中、ずっとリアジがアテンドしてくれた・・・・というか付きまとわれた。 それが苦になったわけではなかった。シタールの弾き方やチューニングは一切知らなかったが、あの音にきょうにがあったので、最後の日、僕がシタールが欲しいと彼に申し出たところ、快く受けてくれて知りあいに頼んでみて日本に送ってあげるといった。 送料込みで100ドル(当時は15000円ぐらい)・・・・大きさだけ聞いて現物はみていなかった、買い物の極意としては駄目なことであるが、リアジのこれまでの親切に対して信用してみることにした。当時はドル建てのトラベラーズチェックを持って長期の旅の出るのが主流であった。チェック普通は銀行に行って換金しなければならないし、両替するのに長時間を余儀なくされてしまう。 面倒なのでリアジの知り合いの宝石屋でチェックをそのまま払うことにした。ここインドでは外貨獲得のために色んな人や店で両替できることが多い、つまりブラックマーケットなのだ。銀行で替えるよりもレートが良いのでたくさんの旅行者は利用していた。其の宝石やも闇の両替やを営んでいるということだ。100ドルのチェックを払い、領収書のような受け取りをリアジが書いている・・・・ふと見ると手元をみると明らかに震えている。ロッキード事件での手の震いまでは行かないもの誰が見ても震えている・・・・ヤバイ・・・こいつ騙そうとしているのか・・・? 当時平均月収6000円ぐらいだったので大金を目にして震えているだけなのか?ヤバイ・・・・と思ったが、本当にまじめな人間だったらと思うとそんな疑いを掛けるのも彼に失礼だと思った。信じた限りはとことん彼を信じようと思った。そして、帰国後のシタールを到着を楽しみにしてブッダガヤを離れて友人の待つバラナシーへ向かったのだった・・・・・・・勿論、シタールは未だに受け取っていないのだが・・・・

 

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ヒンドゥの聖地へ

バラナシーはヒンドゥ教の聖地で一番有名でインド旅行には無くてはならない場所である。 貧乏旅行上勿論移動は飛行機じゃなく鉄道である。日本において列車の発車、到着時間の遅れは殆ど無いが、インドでは日常茶飯事で時刻表は全くと言って当てにはならない。バラナシの路線はカルカッタからデリーにまでの路線で急行や普通列車の其の遅れは尋常ではない。3時間4時間は普通で長いときには7時間以上待たされる羽目になるので短い期間の個人の貧乏旅行には鉄道やバスは向かないのだ。 しかしながら、ガヤの駅までは選挙のせいでバスに無いとチュラムで朝からきまっている叔父さんにいわれリキシャで駅まで行くことにした。 遅れているのかどうか分からなかったが、列車には上手く乗ることができた。安心したのか少し列車の中で眠った一時間ほど経ったのか、強い朝の光に起されると窓の外には田んぼが広がっている。そこには人がぽつり、ぽつりと まばらにしゃがんでいる・・・・何をしているのかと凝視してみると 誰もが小さい缶の様な物に水をいれてしゃがんで用を足しているのだ。つまり全員がうんこしているのである。田舎の家には便所がなくてそのままその辺に用を済ませるようでうんこは肥やしにもなるのだ。日本ではこんな光景は見ることはない、これもまた異文化を垣間見て思わず笑ってしまった。五時間列車に揺られてバラナシの駅に到着、5時間の移動はでかいインドではまだ楽な方だかまたバラナシで友人に会えるかどうか心配だったし、これからが大変だったのだ・・・・・・

 

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