帰郷して
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現場の仕事
前回の回顧録で、東京へと上京したDAVEちゃんだったが、夢破れた。
東京で夢見た馬鹿息子(僕、DAVEちゃんのことです)は大阪に帰郷し、その後は就職もせず、バイトしながらダラダラと過ごした。
ヤメ癖のついている僕は一つの所に長くバイトは出来ず、気に食わないとあっちこっちとバイト先を転々と変えていった。
しかし、長く続いたバイトが一つあった。それは現場仕事。
僕がやったのは防水の仕事で、屋根や屋上に上がり、ゴムのシートを貼ったり、ウレタンを塗ったりし、雨漏りを防ぐ仕事だ。
ビルや学校などではアスファルトを用いた防水対策が一般的だった。
熱い溶岩のようなアスファルトを炊きながら流し、それを塗ってゆく。
火傷は日常茶飯事だが、熱いアスファルトを頭から被ってしまい、大変なことになった話も良く聞いた。熱されたアスファルトの蒸発していく気体を長年吸っていくと大概、肺がんで亡くなっていってるみたいだった。
つまり、早死にすると・・・・・あの防水はとても危険だ。
防水対策の現場仕事では、アスファルトだけでなく、シートやウレタンも使用した。
シートやウレタン防水の作業は、アスファルトを取り扱うより危険性は少ないが、溶剤つまりシンナーやトルエンを使用するので、室内での仕事の時は危険を伴い、死亡事故も少なくはなかった。
車で材用の運搬中は溶剤のせいで、少し酔った感じだった。
それも月日が経つと感覚が麻痺していき、臭いも気にならなくなる。
あの頃の現場仕事の実際
普段の現場仕事は、屋上だから日陰はなく、夏の炎天下での仕事は他の現場仕事より、良い意味で季節感が感じられる。
冬も同様だ。風が容赦なく吹きつけ体を冷やしゆく・・・・寒すぎ!
それでも、僕がその仕事を続けられたわけは、何をしても絶対にクビにはならなかったからだ。
というのも、その職場はダメ人間の吹き溜まりだったからだった。
親方をはじめ、殆どの作業員がシャブとシンナーの愛好家だった...。
親方はシャブの常習者で、シャブを打っていると寝ないの日常だった。当然、シャブで決まったまま朝は仕事に行くが、シャブが切れてくると現場のトイレでシャブを入れたり、人目につかない場所を探してはシャブを入れたりしていた。注射器持参だ!
親方は、朝にシャブが切れていたら仕事に行かない。病気になったと訴える・・・・。
また、現場でシャブを入れられない時や、持ち合わせていない時は、昼飯食べてから3時間昼寝だ!
そんな具合だから僕が無断で休んだとしても、決してクビにはならない。給料も高額で、1日1万円。
怠け者にとっては悪くない働き場所だった。
ジョニー
親方たちは唾をよく吐いていた。最初はわからなかったが、シャブが決まっている時の
行動のひとつらしいと後々分かった・・・・。
親方は禁断症状らしきものは殆ど見受けられなかったが、先輩のTさんはしばしば奇妙なことを言ってきた。
当時、Tさんは30歳半ばだったが、見た感じ正にシャブ中!THE シャブチュウ!
頬はコケ、目は窪んでいる。当然ながら僕と同じ屋外の仕事なのだか、白人よりも彼の肌は白く、不健康的な白さだった。
イメージで言えば角刈りのジョニー・ウィンターのようだった。そのため、僕はTさんのことをジョニーと陰で呼んでいた。
ジョニーの両手の小指は無く、薬指にワッかの刺青。勿論、体にもお絵かきがあった。今ではアートメイクがポピュラーではあるが、その当時の刺青は、簡単に気安く入れられるものでは無かった。
ジョニーの眉(まゆ)も刺青が入っていた。定かではないが、まゆに入れる刺青の意味は“喧嘩かいます!”という意味らしい...。
当然ながら、ジョニーは元ヤクザ!893!暴力団である。服役もしていたらしい。
職場には、過去に服役していたおじさんが他にもいた。このおじさんも喧嘩早い人だったが、彼もシャブ愛好家のひとりだ・・・・。
その叔父さんは、職場で親方がキマっているのが分かると、自分にも少し回せと凄んでいた。親方は仕方なくちょっとだけ分け与えると、その叔父さんはトイレにキメに行く始末である。
禁断症状
ある日、ジョニーはコーキングを自分のアパートのお部屋に持って帰りたいと親方に話していた。
僕が「どうしてコーキングがいるんですか?」と聞くと、ジョニーは「虫が部屋の隙間からでてくるんだ!!」と訴えた。
毎晩、そこそこの数の虫が出て来て体を刺すし、痒いし、眠れないと・・・・・・。
彼の部屋は6畳一間のアパートだった。コーキングをもって帰り、彼はその部屋の隅という隅にウレタンコーキングを施した。アパートの大家の立場から言うと迷惑なこと・・・・・?勝手にコーキングは・・・。
しかし彼曰く、「コーキングしても虫がでてくるんだ!」と・・・。
これはシャブが切れた時の症状のひとつらしい。
シャブがキマっている時のテンションは高かった。何も言わずひたすら名神、近畿道を車で140キロで走る!
混んで来たら路肩にスイッチし、90キロで飛ばす!邪魔な車には車内で「どけ!どかかんかぁ!!」と叫ぶ始末...。
怖いものなど何も無い!あの顔を見たら誰も文句は言えない・・・・
ジョニーの好物
でも、ジョニーはあんな怖い顔して可愛いことを僕に言って来た。
「帰りにイチゴ大福を買いに行こうか?」
「はい」・・・・逆らえない・・・
ジョニーは甘い物が大好きであった。あんこ関係、特にイチゴ大福。
あんこは、シャブの次にハマっているようだった。
ジョニーと一緒に饅頭屋に行くと、店のおばあさんは恐々だった・・・・。
あなたが・・・あなたのようなひとが・・・・イチゴ大福を買うのか?という気持ちはその表情で覗えることは容易だった。
ギターの弾けない角刈りのジョニーを見た人は誰でもビビッてしまうのだ。
あの時、僕は初めていちご大福を口にした。
せやかて、可笑しいやんそのギャップ!!!